晴れ


快晴。気温も高かったけれど、湿度が低かったので外にいる分にはすごしやく気持いい一日。しかし屋内はきつい。エアコン必須になってまいりました。夕方5分ほど土砂降りの夕立。すぐに止んでよかった。

買い物にいき、いいにおいに釣られてついイチゴを買ってしまう。値引きのシールにも釣られたけど。小粒だけど、んまい。子供のころ畑にはいって盗み食いしてたようなサイズ。一人で1パック食べるのはちょっとあれだけどまあいい。季節。

最近駅前に学校が出来たためチビどもがどどどーっと下車するようになった。お陰で座れるようになったので本を読むことができる(ちびちびだけど)。

同じ電車に、少しうつむき加減でどこか陰のある、しかしながら私が言及する以上当然のことだけど、きれいな女性が乗っている。車両が違うだけかもしれないが、週に2、3日しか見かけない。 いつも脂ぎったおっさんどもにジロジロ見られている(私は女性をジロジロと、舐めまわすように見ているオッサンどもを観察しガンとばすのが趣味なのでよく知っているのだ)。彼女がうつむいて回りを遮断しているような雰囲気をまとってるのもその所為かもしれない。

で、先日私はチビどもが下車したあとしょぼくれたオッサン一匹を挟んで彼女と同じシートに座った。彼女は座席のいちばん端っこ、ドアのすぐ脇に座っていた。カバンから文庫本を出して読むこと数分、彼女が降りる駅に着いたときに起こったこと。

その駅のある町には田舎ながら一応ビジネス街というものがあるので降りる人が結構多い。通勤時間だけ使われる改札まで用意してある。要するに結構混雑するから、このあたりの人たちにしては珍しくみんなさっさと動く。彼女もまたそういう人の一人だった。というかさらに素早く降りる人だった(よほど嫌なのかもしれない)。

それがデス。その日はすこーし違った。間に座っていたショボクれたオッサンがヨイコラセといった感じで席を立ってはす向かいに開いたドアへ向かったときにもまだ彼女は座ったままだった。しかも間に空間が出来て半呼吸するほどの短い時間にこっちを見た。私が座っていたのは出口とは反対なので、意志を持って見たのは間違いない。美女が一瞬私を見た。私は美女に一瞬見られた。

私はそのあいだも文庫を読んでいて一切反応はしなかったけど(しかもちゃんと文章を読んでいた)、頭の中は結構パニックでいろんな感情未満・思考未満のモンヤリしたものがグルグル回ってた。

次の、自分が降りる駅に着くころには落ち着き、自分のなさけなーい慌てっぷりを思い出し、そこにモテナイ人間の哀しみを見出だした。でもしょーがないよ。その時読んでいたのは新訳の『1984年』で、読んでいたのはちょうど、ショボクレタ主人公のおっさんウィンストンが若くてきれーなジュリアと人ごみの中でビッグブラザーの監視を逃れつつ逢瀬の段取りを決めるシーンだったんだもん。「おおおおおお、ひょっとしてこのシーンってこういう感じちゃん?ちゃん?ちゃん?」とかその時の自分を重ね合わせるような妄想に浸っていましたごめんなさいお許しください殺さないでください殴ってもいいから。