そのかわり、というわけではありませんが『下りの船』をちびちび読んだ。むう。


なぜそんな土地の枯れ切った厳しい荒れ野に暮らすのか?と思うような寒村。しかも彼らの住む家は“そだ”(粗朶と書くらしい。はじめて知った)を並べて屋根にしているような、『羆嵐』にでてきた草で造った家のような、ボロ屋。かろうじて巡回教師がやってくる、そんな僻地。そんな描写だけでなんというかこう薄い霧のような不穏がもやーっと。


その村に外国語なまりのある、村人とはことなった信仰をもつ老夫婦が移住してきたことでさらに不穏の霧さが濃くなる。


この老夫婦の登場した時点で、なんかユダヤ人っぽいなぁ、などと思っていたらその後その印象をさらに強める展開が待っていた。不穏の霧はどんどん濃くなっていき、終いには霧と呼ぶには重すぎる、しっかりとした質量をもった重金属の液体に世界が沈んだような感覚になってしまっていた。


でもまあ、これから先はユダヤ人云々は忘れて。書かれているまんま、文字通りを読んでいく予定。


あと、老夫婦に預けられた男の子の出現・存在自体もそうなんだけど、語りの言葉遣いのほうも一文一文短くてどこか昔話のような寓話のようなそんな雰囲気を漂わせていて読みやすい。でも、書かれた世界の空気は異常に重い。


んー、これはちびちびとしか読めないなぁ。