朝起きると、街中の人間がゾンビになっていた。残った人間は大きな川の中州に立っているどこかの大学のキャンパスに立てこもっているらしい。僕もその中に居た。遠く河川敷にはススキが繁っているのが見える。


かなり広い敷地であるにもかかわらず、建物の中も外も逃げてきた人間が犇いている。これからどうするということもなく、ただ蠢いている。ビルのむこうから「居たぞー!」という声が聞こえる。中州につながる橋は封鎖していて血の気の多い男たちが見張っているらしいが、これだけ大勢いる以上、ゾンビが紛れ込んでいても不思議ではない。


どれほど時間が経ったのだろうか。始めのころは、封鎖前に侵入したゾンビを物理的に破壊したり、流れの速い川に流したり、あるいはビルの一室に閉じ込めたりしていたものが、敷地内での感染によって抑えきれないほど増えているらしい。すでにビルの外には居られないので、僕も中に居た。この大学は歴史が古いらしく、重要文化財のような建物から真新しい無機的なビルまでが乱立していて、そのうちかなりの棟が渡り廊下などで無理やり繋げられている。九龍城のようにも見える。


いつまで経っても日が暮れない。外はずっと曇り空のまま薄ら明るい。どうやら建物の中も侵食されてきたらしい。時折叫び声が聞こえる。これといった確証はないが安全な気がするので徐々に上階へと移動している。周りの人達も上に移動しているようだ。


最上階の角にあるとても大きな階段教室に居た。窓から見える空は相変わらずの曇り空で妙に明るく感じる。階段教室は建設以来最高の入りといった感じで全ての席に人が座り、間の通路部分にも大勢の人が立っている。教壇の回りも例外ではないが、中央の辺りに2,3人の男が立っておりこちらに向かってなにか言おうとしているが、最上部近くの窓際に座っている僕にはよく聞こえない。ここに来て初めて組織的に動こうとしているらしい。僕の隣にいた老婆がこちらを向いて言った。「お前だけ助かろうなんて無理だよ」


気がつくと地下室のような場所に寝転んでいた。そこらじゅうダクトがはしっている。立ち上がるのも難しく、普通に歩けないほど密集している。右側頭部がひどく痛む。あのとき、老婆はいきなり僕の右手を掴んだと思ったら手の甲を舐めたのだった。僕はあっと声をだした。老婆は既にゾンビだった。ゾンビに咬まれると感染する。咬まれるだけではない。爪で引っ掛かれただけでも感染することはわかっていた。しかし唾液で感染するのかどうかは誰からも聞いたことがなく、また自分で見たこともなかったので分からなかったが、あのときの僕は反射的に老婆から逃げた。結論から言えば感染するらしい。この部屋には僕の他に2人、2匹のゾンビが閉じ込められていた。人間たちによって隔離されたらしい。不思議なことに老婆は居なかった。


壁の天井にちかいところから光が差し込んでいた。パイプを避けながら壁際まで移動し、ダクトに腕をかけて身体を持ち上げ窓から外を覗くと地面の草の上に相変わらずの明るい曇り空が見えた。この部屋は半地下の所為でとても暗く、パイプやダクトの所為でとても狭い。身体を動かすこともかなり難しい。ここから出たい。ここへ、このキャンパスへ来てから感じたいちばん強い感情だ。恐怖より強い。


他の二人を見ると同じように考えているらしいことが分かった。なんとなく顔を見合わせただけだが、一緒にここから脱出しようという意志が伝わってきた。彼らがパイプを避けながらゆっくりとこちらへ集まってくる。海坊主のような身体のでかい男と目が合った。白目の部分が赤黒く染まっていた。ゾンビ化がかなり進んでいるようだったが、僕を見たその黒い目は驚きの所為で見開かれているのが分かった。僕の目を見て分かったのだろう。自分も目の前の男のような目になっていることを。舐められたときから覚悟はしていたけれど、男の目を見た僕も驚いた。ゾンビの目を初めてまじまじと見詰めた。ここから早く出たい。早く外へ出て自由になりたい。窓枠に指を掛けた。


ここで目が覚めた。気持ち悪かった。