というわけで、最近になってようやく『のだめカンタービレ』(ドラマとアニメーション)を見ているわけですが。


なかなか面白いではないですか。ドラマのほうは放送が始まった当初にちら見しただけでまったく期待していなかったんですけど、面白い。BGMもクラシックだしね。


で、思うのはやっぱり上野樹里はかわいいなぁえへへへということで、ボケーっと口をあけながら眺めていたわけです。ほっぺたが赤くなったところなんてもうね、あれですよ。峰の試験のときにベンチでねっころがってるところなんてもうね。なんで兵庫県人なんだ。くそっ!


で、気付いたのが上野樹里神木隆之介は笑ったときの口もとがそっくりだってこと。ま、どうでもいいけどな雄なんて。


ギャグも悪くない。タイミングはアニメの方が一枚上だけども、ドラマもまぁまぁ。一番うけてしまったのが、コンクールに出たいので指導してくれってハリセン江藤のところへ行ったときの敬礼。あほすぎて笑った自分が許せない。


で、メインはやはり指揮者だったりするので、そういう話(どういう?)も多くなる。フレーズの持つ意味を各自考えて演奏しろだの、無駄な音は一音だってないだの、作曲に掛かった20年という時間は無駄ではなかっただの。これを聞いていて思い出したのが『小説のストラテジー』ですよあなた。


どうも、例えに音楽の話が時々でてくるし、大蟻食さん自身ヴァイオリン弾いているし、『天使』の最後はスケルツォ(だっけ?)をイメージしたなんて話もあるし。楽譜を読むことと小説を読むのは似ているってことだろうか。じゃ演奏に当たるものはあるんだろうか?多分ストラテジーに書いてあったと思うんだけどもう忘れてる。うう。


で、昨日は眠くてしょうがないって時に書いたもので、いくら書き流しとはいっても酷すぎる。ということで、再挑戦。

語り手について

この話はヴァシリが生まれる前、父親の話から始まり、以降時間軸にそって進められています。この「語り」が走馬灯ではないと考えた場合、最後に銃弾に倒れたヴァシリにはこれだけの分量を語る時間はありません。であれば、考えられる可能性は、


この小説のどこか一点において、“語られている内容が起こった時間(A)”と“語り手が語っている時間(B)”が一致(A=B)しており、その点以降は“現実”と“語り”が同時進行となっている




というものしか思いつきませんでした。しかもその点は可能な限り最後に近くなくてはなりません(ヴァシリが死に掛けているため時間的猶予がない)。


ということで、パラパラと流し読みながらその点を探しましたが見つかりませんでした。普通に考えるとこの本の語りは、本来不可能な事態が起こっているということになります。


それを元に、他の可能性を検討した結果二つの可能性を無い頭からひねり出すことに成功いたしました。


一つは、超自然的な事態が起こっている可能性。もう一つは、語られている内容が嘘である可能性です。

超自然的な場合

これは大抵のことは許されます。殆どなんでもありです。


しかも以前に書いたように、話の発端である(発端でなくてもいいが、ぼく=ヴァシリはこれをスタートラインとして選択している)、父親がクルチツキーから土地をタダで譲り受けて地主に成り上がる場面はなにか悪魔との契約を感じさせます。


さらに、昨日中途半端に書いた“語り手ヴァシリがあの世とこの世の挟間にいるのではないか”という話もOKとなります。


関連がありそうなのでついでに書いておくと

人間を人間の格好にさせておくものが何か、ぼくは時々考えることがあった。それがなくなれば…(中略)…

サヴァが死んだ時、ぼくはその一線を跨ぎ越しながら、それでもまだ辛うじて二本の脚で立っていた。

(中略)

ぼくはまだ人間のような顔をしていることができた。

(中略)

それでも、ぼくたちはまるで人間のような顔をして生きてきた。

P269-270




ここから解ることは、ヴァシリは自分のことを既に人間ではないと思っている(知っている?)ということ。では人間(の格好)ではないものとは何か。同じ段落に説明があります。

ごろつきどもからさえ唾を吐き掛けられ、最低の奴だと罵られてもへらへら笑って後を付いて行き、殺せと言われれば老人でも子供でも殺し、やれと言われれば衆人環視の前でも平気でやり、重宝がられせせら笑われ忌み嫌われる存在

P269




しかし、ヴァシリはそうはならなかった(老人=シチェルパートフ、子供=サヴァ&ウルリヒとも取れるが)。


確かに、ウルリヒを殺し、マリーナに軽くあしらわれた結果、“恥も外聞もなく泣きじゃくりながら外に出た(P269)”ヴァシリや、“泣き喚きながら、ごろつきの屯する通りをよろばい歩いた(P270)”ヴァシリは、上記のような人間ではないものになってもおかしくないように見えます。


しかし結果は、そうなる前に死んでしまった。一種ウルリヒの敵討ちであり、ほとんど自殺といってもいいくらい無茶な襲撃で死んでしまった。死ぬことで“完全に人間ではないもの”にはならずに済んだと考えられます。


敵討ちといっても、それで遠の昔に越えた一線を跨ぎ返せるほどの善行にはならないでしょうし、ヴァシリ本人もそのような虫の良い話
を期待してはいなかったでしょう。


というわけで、完全に化け物になってしまう前に死によって冷凍保存された、半獣半人=ミノタウロスが誕生したと解釈すれば“語り手ヴァシリ=ミノタウロス”というとても収まりのよい形になります。


語り手ヴァシリはあの世とこの世の挟間の世界でこれを語っているとすれば、他にも都合の良いことが色々とあることに気付きます。


もちろん、語りの時制が無理なく理解できます。時折挿入される現在形は挟間にいる今の話ということになります。これは、冒頭だったり、先ほどの「人間が人間の格好にさせて〜」のところであったり


今更天国には行けないし、そんなものがあるともぼくは思っていない。これでご満足かね、クルチツキーの旦那。 P247




のところだったりします。特に、天国云々というところは暗い挟間の世界でミノタウロスヴァシリがひとりぽつねんと呟いている光景を一度思い浮かべてしまうと、他には(解釈が)ないんじゃないかと思うほどぴったりきます(僕は)。それも永遠に閉じ込められていたりするんだろうかと思うとゾクゾクします。ああ、

「死にたいと思っても死ねないので、そのうちカーズは考えるのをやめた」 ジョジョの奇妙な冒険




を思い出すな。ふふふ。


いや、どこからかお迎えが来るかもしれません(天国以外)。それまでの待ち時間に語っているのかもしれません。なにせヴァシリも死ぬのは初めてなので、そのあたりはわかっていません(天国があるとは思っていない。でもここはどこだ?)。


冒頭、と書きましたが、あれはヴァシリが生まれる20年前の話です。いくら父親から話を聞いたとはいえ、6歳から母親と働き始めたというくだりはともかく、クルチツキーとの契約の話は異常なほどに詳しすぎます。


殆どヴァシリ本人が見てきたかのような描写が続きます。クルチツキーの自殺の場面は、後に現物を見た兄の様子から無意識に作り上げたとも考えることもできますが、その他の部分はどうもおかしい。


ところが。挟間の世界から、この世をのぞくことが出来たとしたら(それも時間を超えて)どうでしょう。


一応、今のところこれを否定する点は見つかりません。なにせ大抵のことはOKですから。しかし正解とする証拠もありません。最後に、現在形のナレーションとして挟間にいるヴァシリから一言あれば確定したのでしょうが。

内容が嘘の場合

これも殆どなんでもありです。というか無敵。


一つの可能性を。


以前に書いたとおり

世界中の素町人の教授は素町人の町の素町人の小屋に住んでいる。 P24




から始まる段落は、その他に比べてかなり目立つ(あの内容であの分量)ものとなっています。ひょっとすると。語り手はネヴァ川沿いですれ違った、読めもしないロシア語の本を買ったイギリスの素町人の教授の小屋に下宿しているぼく、かも。行ったことも無いロシアを想像して語った(騙った)壮大な釣りかもしれません。


入れ替わっていても誰も怪しまないし、誰も困りません。


ということで、疲れました。ハードカヴァーって扱い辛いですね。早くも文庫版の『ミノタウロス』が欲しくなっています。というか、出版社の皆様。単行本と文庫を同時に撃ってくれませんかね。完全限定セット販売でいいので。いったりもどったりが大変なのです。


ということをぼんやり考えていて解りました。『ストラテジー』がハードカバーじゃないのもこれが理由なんでは?予め教科書・参考書のように、なんども行ったり来たりページを捲りやすいようになってるんでは?


ま、妄想。


ワイルドバンチ』を見てから、一層続編は無いなという感じが強くなりました。なんでかな。残念だけど。そのかわりといってはなんですが、『天使』『雲雀』のさらに続編読んでみたいです。あの感覚によるものなのか物理的な音による会話なのか直ぐにはわからないやり取りを読むのが癖になってます。上手い具合に感覚を持った子供が二人もいるんだし、今度は西ヨーロッパ、第2次世界大戦を舞台にして下さい。あ、そうすると列車砲が出てこないか。ちくしょう、上手くいかねぇな!