ネタばれあり升

ミノタウロス』のクルチツキーが『1809』の公爵ではないかという情報を目にしたので『1809』をナナメ読みしたのですが、分かりませんでした。どこがポイントなんだろうか(ただ1919年あたりにヴァシリーが17歳くらいとすると、生まれたのは1900年あたり。とすると若き日の父親がクルチツキーとあったのは1880年くらいか。『1809』から70年くらい経っている。公爵が若かったとしても100歳近い。僕は根拠はないけれどクルチツキーはもう少し若そうなのを想像していた)。


一点、引っ掛かったのは“自由”についての解釈の部分。ここは両者とも似ていました。


僕はクルチツキーは漫画『石の花』に出てくるギョームという男に良く似ていると思いました。得体が知れず(ギョームは本当ははっきりした身元があったけれど、それが途中から信じられなくなるという展開。よく出来ている)、なにやら悪魔のお仲間臭いところがそっくりです。ギョームなら200歳でもおかしくないんだけど。


この『石の花』にも自由に関する解釈が長々と語られる場面があります。ひょっとすると“自由”の話は“悪魔との契約”という話には付き物(というか決まったパターン)なのかも知れません。『ファウスト』読めば分かるでしょうか?


で、僕はこれまでクルチツキーと父親オフチニコフの関係は“悪魔との契約”じゃないかと思っていました。が、まったく逆の解釈をする方もいらっしゃるようです(公爵の話もこのkazakiriさんが元のようですね。違う?)。


クルチツキーはオフチニコフにこういった後すぐに自殺している。

彼には支払いを受ける意思があったとは考えにくい。



ちょーwまったくの逆だぁ。僕は前回こう書きました。

あの男が契約直後に自殺したのは支払いを受けない意志を示したのではなく、受けるために死んだのかもしれません。



で、どっちが正しいんだということですが、今のところこれといった決め手はありません。ひょっとするとどんなに探しても無いのかもしれません。つまり『ミノタウロス』は、悪魔との契約があったとも読めるし、そんな超自然的・非科学的なものは無かったとも読める状態を狙って書かれているのかも知れません。


とはいえ、最後。読者は自分が今まで読んできたものは一体“誰がどうやって語っているのか”という謎を撃ち込まれるわけです。誰がと書きましたが、素直に読むとこれはもうヴァシリーしかありません。では、どうやって?のほうはどうか。

ミノタウロス」の語り手は、p277の最後の一行、くたばる寸前のヴァシリなのではないかと思う。

つまり、「ミノタウロス」は回想録でも告白でもなく、走馬灯なのではないかと。



これも前出のkazakiriさんの解釈です。僕もこれと同じです。ただ、くたばる寸前というものの頭吹き飛ばされている点が気になります。読者としての僕は、「ヴァシリーがあの本一冊分を語るために必要な時間」は最低でも「それまで自分が読むのにかけた時間」と同じくらいないとオカシイと感じます。そこをどうとるか。


物理的な時間は数秒。


ひとつは、そこを“アキレスと亀”のように無限小に切り刻んで、ヴァシリーのクロック周波数を極大まで高める。いわゆる事故などに巻き込まれた人が体験することがあるらしい“私、ちょーうースーローーモーシーョーーーンに見えたんです!あの時。”状態を想定する。


もうひとつは、超自然的(悪魔は置いておいて)なものを認めて、語り手はあの世とこの世の境にいるんですと言い切る。


どっちでもいいけれど(この点についてもいろいろ解釈できるように書かれているかも)一箇所気になるところ発見したので引くと。

親父が見ているのは広大な荒地だ。 P7



ここ。本当に見ているのか、想像しているのか分からない。実際、ヴァシリーが父親と一緒にいるのかどうかも微妙。幽霊みたいなヴァシリーが親父のすぐ傍にいるのだとしてもおかしくないと読みましたがどうでしょう。


視点・語り手も面白いけれど、もう1,2点考えていることをメモしておく。


主人公ヴァシリーの造形って、作りたい全体の話(ワイルドバンチ)と構成が先にあって、そこから逆算するように作られたんじゃないかと小一時間。ま、これまでの作品でもそのようなことがあったかもしれないんですが。


何がというと、学校のお勉強は出来ないがフランス語やドイツ語できる点とか、いいところのお坊ちゃんだけれどもシチェルパートフのように汚いロシア語で話せたり力尽くで女を犯すようなケモノじみたところがある点とか。こういう人間を置けば、登場する色々な種類の人間(例えば、ポトツキとグラバクは両極端だけどそれなりに関われる)と上手く絡めるし、語ることができる(もちろん完璧じゃないけれど)。



もう一つ。今の話とすこし関係あるけど。手篭め=強姦も気にしないヴァシリーとシヴァ&ウルリヒの対比。どうも自分が強姦アレルギーなのでヴァシリーに付いていけなかった所為で気になるというのもあるけれど、前半と後半に別々の二人から「お前には分からない」と言われるのはやはり何か意図があるのは間違いない。これが何なのかを考えること。どうも真性の獣性が、普遍的なものとしてではなく、ヴァシリーを含むある種の人間にのみ存在するような書かれ方をしている気がする。兄のアレクサンドルもやりまくっていた訳だけど手篭めはなかったと(僕は読んだ)。つまりヴァシリー視点だと獣じみてみえた兄だけど、本当はそれなりに人間らしかったと。これは前回も書いたけれど、どうも兄=獣的人間とぼく=人間的人間という前半のとらえ方(僕の感想)が後半、兄が自殺した理由が明らかになるあたりで逆転してくる。


この辺は、誰が、あるいはどこが『ミノタウロス』だったのかという話に繋がるようなので、もう少し考える。