ネタばれあり升

暑い中ジム通いとはほんと丈夫だなぁ。僕にもナニか分けて欲しい。

ファシズムの勃興』とかいうCDの最初に、例の『ドイツよ目覚めよ』が入ってて、聞くなり大笑いしちまった訳ですが、よくあんなみっともないお馬鹿な曲で盛り上がれたもんだよねえ(歌詞読むともっとお馬鹿)。



いやいや大蟻食さん。“ファシズムの勃興』とかいうCD”を持ってらっしゃるというのも中々スゴイですよ。


ま、それはそれとして『ドイツよ目覚めよ』ですが、これのことでしょうか?


嵐、嵐、嵐、嵐、嵐、嵐よ!

楼から楼へと警鐘を鳴らせ!

(以下略)



まぁ、とりあえず吹くよなこれは。


で、動画も見つけました。んが、埋め込み禁止らしいのでクリックして見に行ってください。






YouTube
いやはや。本気のようです。


これでドイツ人をバカにするよりパチンコ屋を開いたほうがいいんじゃないかと思いました。ネオナチに虐められる移民を見て喜んでるようなプチネオナチ連中がワンサカ釣れるんじゃないかなと。


というわけで。ここより『ミノタウロス』始まりー。『1809』読む前にメモ。


前回書いたものの補足

  • だからそれはミハイロフカで行われた最後の棒給支払いだったことになる P107
  • だからそれは、氷片が舞い上がって何もかもを覆い尽くす朝だった。 P136
  • だからそれは、例によってどこに行くのかあまり確信を持てないまま、夜中に… P171



このうち直前の文章とのつながりが素直に理解できたのは2つ目だけでした。これらを読んだときに感じた違和感は、読み終った今思えば、『シックスセンス』で感じた違和感と似ている気がします。はい。もうかなり忘れましたが、あの映画の場面転換に似ている気がします。これは一人称だから感じるものかも知れません。あれもウィリスが居ない場面は無かったはずです。ちなみにアレはブルース・ウィリスと奥さんがレストランで食事している場面で気付きました。


一人称といえば、冒頭から頭を押さえつけられたような感じがするのも一人称の所為かもしれません。それに加えてかぎ括弧のない会話。なにやら閉じ込められたような感覚になります。


次。

  • 地所を譲った時、金は払うと言い張った親父にクルチツキーが言ったことを、僕は思い出す。 P246



“思い出した”ではなく“思い出す”。直前に文はなく、これが始まりなので“思い出した”とは書きにくい。それでも“時折、思い出した”とも書ける。これは多分、死後である現在のこと。次の文章が最後の場面にしっかりと繋がっている(実は今きづいた)。

  • 床にぶちまけられた血は、武骨な靴紛いの底を汚物のように汚し、零れたオイルかガソリンのように洗い流され、干涸びる。 P247



僕は無粋なので、最期の場面を引くと

  • 犬の糞でも踏んだように、靴の裏を床に擦り付けた。 P277



です。


書き始めるときには決まっていたんでしょうが、今のところはっきりこれと分かった場所はここくらいです。そういえば、前回書いた映画『サンセット大通り』『アメリカン・ビューティー』(の主人公のナレーション)云々ですが、大蟻食さんのこれが大蟻食の二十世紀ベストだ! 映画篇に入っていました。


もう一つ。今回の小説は珍しく超能力やら超自然現象やら双子やらが登場しません。ですが、考えてみると一点不思議なところがあります。それは3650デシャチナにも渡る広大な土地をタダで譲ったあの浮浪者クルチツキーです。


僕の父親が震えていたのは大きすぎる幸運を掴んだからではなく、怖かったのだろうと想像します。宝くじに当たったというのであればそれなりに納得できますが、タダは怖い。結局のところ“タダより高いものはない”以上に高く付いたのかもしれません。


兄が顔を吹き飛ばされたときに苦しんだ父親は、単に息子の不幸を哀しんだのではなく、あの男に無理にでも金を掴ませなかった自分の所為だと考えていたかもしれません。


つまり、あの契約にはどこか悪魔的な感じがあるということです(つい最近『鏡の影』を読み返したからそう思うのかも)。


もしそうであるとしたら、

  • 君の息子たちが払うさ、と彼は言った。 P247



兄と僕の兄弟は、ちゃんと対価を支払ったのでしょうか。受ける男は死んでいるというのに。あの男が契約直後に自殺したのは支払いを受けない意志を示したのではなく、受けるために死んだのかもしれません。


兄は支払ったのかもしれません。それまで人間とは思えないある種の化け物ような振る舞いだった兄(僕からみた場合ですが)の最期は、賭けに負けた末の自殺、というとても人間臭いものでした(逆に人間臭かった僕のほうは終盤自分のことを人間だとは思えなくなっている点と比べると面白い。逆転している)。

  • 君には無理だ、払えないよ、と男は言った。君の子供たちなら払ってくれるだろう。 P10



“子供たち”が“息子たち”に変わっているのは単なる間違いなのか、それとも意図があるのか。昔のことだから子沢山が当たり前かもしれませんが、生まれてもいないどころか結婚さえしていないのに、子供の呼び方が複数形なのも気になります。また、この直前

  • 金は欲しくない。 P9



これも今思えば、金以外の何かが欲しいと読めます。一体それは何だったのか。


もう一度読まないと分かりそうにないなぁ。はぁ。これで\1,700は安いか。あ、あと常々思っていたことだけど、裏表紙に印刷されるバーコード(しかも2本!!)が邪魔なこと邪魔なこと。なまじ装丁が綺麗だから余計に気になる。そろそろ違う方式にしませんか?装丁屋や著者は怒ったほうがいいと思いまーす。