たかじんのそこまで言って委員会

いやぁ、タイムリーな内容でした。どんぴしゃ。


ことば

id:MrJonnyさんのコメント


あ、靖国神社のことではありません。あれはとくに何かいうほどのことはないし、番組でも大した話はなかったし。


なにかと言うと、今の若い連中に対して言いたいことというテーマで出ました。言葉。日本語。
文字起こししてみたので長いけど書く。

三宅 最近はメールとかなんかが多いから略して、若者語でやるそれはまあそれでやりゃあいいんですよ。だけど基本的な日本語をしっかり勉強してなかったらね、それはどうにもこうにもなりませんよ。


橋下 言葉でね、なんかあの慣用句のなんか使い方がだんだん変わってきたなんて新聞に載ってましたけどね僕ね、慣用句ってのはずーっとそのなんですか、時として変化して、みんなが使うから慣用句だと思うんですよ。それをね、正しい慣用句の使い方って正しい慣用句ってありえないと思うんで、昔あのサザンオールスターズがあのー胸騒ぎの腰つきっていうその歌詞を出したら、国語学者がそんな言葉はないと、胸騒ぎの腰つきってなんだってなんかえらい言ったと思うんですけど、その言葉って…(三宅※)時代の文化なんでね、


三宅 何?(※)腰つきってなんですか?これ?(両手でゆらゆらとジェスチャー


橋下 そうです。胸騒ぎの腰つき〜♪(橋下&宮崎デュエット)って言葉は有り得ないって…(三宅※)


三宅 ありえないよそんなことは(※)


橋下 言葉ってのはその時々のことのね使い方とか変わっても(勝谷※)全然いいと思うし


勝谷 それはね、それはね(※)、ベースがあった上での話


三宅 そうだよ


勝谷 たとえば桑田さんなんて話せば、ものすごく立派な日本語を話す方で、やっぱあれはサザンの世界だから許されるわけで、ほんとにその基本がね、ベースが全然わかんなくなっちゃって、最近ね、このコンビニでね昔変な日本語喋ってるって言ったら、ぽっと見たら(名札を示すジェスチャー)キン(金?)さんだったりオウ(王?)さんだったりで、あーまー留学生の方ががんばってると思ってた、怖いこといいそうだと思ってるでしょ(辛坊指して)、


宮崎 凄い緊張した


勝谷 最近、だけどキンさんかなオウさんかなっと見たら山田さんや鈴木さんなんですよね。日本人の若者も全然日本語、基本的にね、(橋下※)


橋下 変な日本語って言うけど、その時代それ使ってるのがもう日本語ですよ、コミュニケーションですよ。そんなこと言ってたら僕らが昔のその言葉を喋って、そしたら今のその世代の人たちと言葉が通じなくなっちゃいますよ。


宮崎 言葉をどうでもいいという風に、まあ要するに時代の変化でどんどん変わっていけばいいっていう風に言うと、世代間で、逆に、コミュニケーション取れなくなっちゃう。


橋下 それはしょうがない


宮崎 だから言葉っていうのはできるだけ保守的(三宅※) であるべきなんだよ


三宅 そうなんだ(※)そうです、そのとおり。だからこれからだってね、要は橋下さんみたいに素っ頓狂なことばっかり言って、言って歩くのがあるかもわからんけどね、それはねテレビに出て世道人心を惑わしてるだけでね、けして日本語のその文化の向上に役立ってないちゅうことは明記しつつやらなきゃいかんよそりゃ。


たかじん ただ、やっぱりただ若いひとにはあんまり言うこと無いけども、言葉いうのは自己表現の手段ですから、それはなんか、あのーものすごい年下の人間にちょっとなめてるようなニュアンスのね、今流行ってる若いもんだけでわかる言葉言われたら、こるぁ という形にはなるわね


宮崎 そりゃそう


たかじん そりゃコミュニケーションの一助にはならへんわそれは、ふーん。あのーなんかあるやん、直ぐ若い言葉出えへんけどね、その女の子でも短縮してぐっと言うとか


ざこば あ、超なんとかとか?


たかじん あ、あー超感激とか。たかじんて割と歌うまい超感激したわとか お前に感激なんかしてほしないわあほんだらーとか、まそらあるわ


宮崎 橋下キモイとか


たかじん あ、キモイキモイ。あれね、キモイ言われたらほんまにねズキューンと来るのよ。あ、そやキモかったんやみたいなね


筆坂 キモキモじゃないけれど、割合その人を傷つけるようなねそのー略語っていうんですかその若者の言葉って、結構ひと傷つける言葉多いですよ(たかじん※)


たかじん またそういうのが流行るんです。褒めるような言葉はねあんまり流行らないんです。


筆坂 そうでしょ


宮崎 筆坂さんね、ちょっと傷つけること言っていいですか?


筆坂 どうぞはっは


宮崎 竹中平蔵に似てますね


筆坂 あ、そうですか。ちょっと傷つきました。はっはっはー

と、まあこんな感じでした。ボールドは引用者。


あれね、僕は胸騒ぎの腰つきってのは歌詞だし、詩だと思うんですね。詩としてはありだと。ただ勝谷さんも言っているように基礎があっての話です。で、基礎ってのは基本的に義務教育の期間に身につけるものだと。基礎は話し言葉や上級な使用と異なってよりゆれ、乱れ、にじみ等が少ない分、明確な間違いというものがあり、それはやはりちゃんと指摘するべきもので、個性の差だから、他者と自己の差だからそれを楽しめっていうのはこれも間違いだと。ちゃんとコミュニケーションを取ろうとするならなおさら基礎部分はキッチリ押さえておくべきです。


基礎を押さえた上で初めてサザンの歌詞のような言葉を使うことにあるいは受け取ることに意味が出てくるのだと思いました。あれは応用、詩であって、詩のやり取りのみでコミュニケーションが取れるわけではありません(もちろん詩のボクシングのように、ある種のゲーム、アートとしてそういったこともあるでしょうが)。


。僕が言いたかったことは間違いを指摘することは他者の排除ではないということです。言葉の間違いは言語感覚の差ではないばかりか、自己と異なる他者との差異を知るための障害ですらあります。ということです。


ですから、ま、基礎の部分を身につけた上での話だったということならば、僕が書いたことは的外れでしょう。もしそうだったとしたら他者を排除するような人間は僕の周りにはいないので、そういった連中のことは気にならないし、突っ込む必要はなかったことになります。


勝谷&三宅&宮崎vs橋下という感じで、僕と似たような主張をしていたのは3人もいたわけですが、この面子じゃ3人足してもたったひとり夏目漱石の援護には及ばないかな。ふう。