評伝 斎藤隆夫

読みおわったのでメモ。

評伝 斎藤隆夫―孤高のパトリオット

評伝 斎藤隆夫―孤高のパトリオット



岩波現代文庫からも出ている模様。


面白かった。静思堂に行ったことはあるけれどあまり覚えていない。記憶にあるのは土壁と録音された演説が再生されていたことくらい。


之に関連して御尋ねをしておきたいことがある。 此処に昨年十二月十一日附を以て発表せられたる東亜新秩序答申案要旨というものがある。 是は興亜院に於て委員会を設けて審議せられたる所の其の答申案であります。 之を見ますると云うと、吾々には中々難しくて分らない文句が大分並べてある。 即ち

皇道的至上命令
「うしはく」に非ずして「しらす」ことを以て本義とすることは我が皇道の根本原則、
支那王道の理想、
八紘一宇の皇謨。
中々是は難かしくして精神講話のように聞えるのでありまして、私共実際政治に頭を突込んで居る者には中々理解し難いのであります。

(拍手)

併しそれは別と致しまして、近頃になって東亜新秩序建設の原理原則とか、精神的基礎とか称するものを、特に委員会までも設けて研究しなくてはならぬと云うことは一体どう云うことであるか。 東亜新秩序建設は此の大戦争、此の大犠牲の目的であるのでございます。 然るに此の犠牲、戦争の目的である所の東亜新秩序建設が、事変以来約一年半の後に於て初めて現われ、更に一年の後に於て特に委員会までも設けて、其の原理、原則、精神的基礎を研究しなくてはならぬと云うことは、私共においてはどうも受取れないのであります。

(拍手)

此の点は総理大臣に限らず、興亜院の総裁で宜しいのでありますからして、何故興亜院に於ては特に委員会までも設けて、斯う云うことの研究に着手せられたのであるか、之を聴いて置きたいのであります。

これは斎藤隆夫昭和15年2月2日、第七十五議会において行った、盧溝橋事件に端を発した支那事変(のち日中戦争)についての政府対応に関する質問。


「うしはく」は「領く」で「しらす」は「領らす(知らす)」と書き、皇謨は「こうぼ」と読む。意味はそれぞれ

うし‐は・く【▽領く】 《「主(うし)」として領有する意から》領地として治める。支配する。 goo辞書
しら◦す【知らす/▽領らす】 《動詞「し(知)る」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」》「知る」の尊敬語。お治めになる。統治なさる。ご支配になる。 goo辞書
こう‐ぼ〔クワウ‐〕【皇×謨】 天皇が国家を統治する計画。 goo辞書

ということらしい。が、辞書をひいてもなお、私には「しらす」と「うしはく」の区別が付きません。「うしはくに非ずしてしらす」となっているけれど。


で、これは私が特に物を知らないから(知らないけど)というわけではなく、斎藤隆夫自身も「難しくて精神講話のように聞こえるし、実際政治やってる自分たちには理解できません」と言っている。東亜新秩序答申案要旨を小ばかにしている様子。


本題は「東亜新秩序」というものが戦争の目的とされているが、その東亜新秩序という言葉は事変勃発してから1年半経ってから現われている、戦争(聖戦)の目的がその戦争が始まってから1年半後に初めて出てきたのはおかしいではないかという指摘。後付けにも程があるだろうと。


これは米内内閣での質問だけど問題にしているのは声明を出した近衛文麿内閣で斎藤は近衛についてはかなりしつこく批判している。


これはもう斎藤の言うとおり、政府は軍部の独走をただ見ているだけしかできず、それどころか追従しているようにしか見えないんだけども、この手法が効を奏した例として中国文学者の竹内好の文章(昭和17年1月「大東亜戦争と吾等の決意(宣言)」)が載せられていた。


長いので引かないけれどおおざっぱにいうと

日本は自分の大好きな中国に対して聖戦という美名に隠れながら、実は弱いものいじめをしているだけに見えていたのでとても心苦しかったけれど、日本よりもずっと強いであろう米英に対して開戦したのを見て大東亜共栄圏・八紘一宇はほんとうだったのだ、良かった

といった感じ。


だけど私がこれを読んで思ったのは「やっぱり弱いものいじめしている自覚あったんじゃないか」ということだった。当時から侵略という自覚あったんじゃないの、と。