大蟻食、エロを語る(?)

まとめでしょうか。私はたぶん関係エントリーの半分くらいは読んでいないのでなんとも言えないですけど、大蟻食側は一応全部読んでいるので、ああ、こういうことでしたね、くらいの感想です。しかしあれだね、これはやっぱかつての文句にそっくりだ。テーマは別にして、こういうのおやりになりたかったのではないかな、と少し思った。


で、なんだっけ。そうだ、今回一番気になったのはここ。

秘かな期待もあります――単なるエロではなく(エロ物は、どんなにエロかろうとエロい限りは俗情と結託したサプリメント的なものです――そこを越えようと思ったら、表現としての余程の精度が必要になる――そしてそうなったら、もう純粋な意味での、サプリメント的なエロではない)、エロを破壊するようなエロ、エロを求めて来た者が直面した途端顔面蒼白になるようなエロ、エロいどころかディープな愛好家でさえどん引きするような、気分が悪くなるような、或いはあまりのことに笑いが止まらなくなるような、当分手を出す気さえしなくなるようなエロ、エロの記号性が吹っ飛ぶくらいの、故に全然抜けない、剥き出しの表現自体がごろごろ転がっていること以外何も目に入らなくなるようなエロが、いつかは生まれてくるのではないか、と。




ちょっと長いな。核はここ。


(エロ物は、どんなにエロかろうとエロい限りは俗情と結託したサプリメント的なものです――そこを越えようと思ったら、表現としての余程の精度が必要になる>――そしてそうなったら、もう純粋な意味での、サプリメント的なエロではない)

(強調は私)



ここですね、はい。なんだかんだやっぱり『ストラテジー』のようなところを面白く感じるのね、ワ・タ・シ


面白いのが“欲情”ではなく“俗情”であるところ。空目か!


あるいはなにかの間違いかと思ったらそのような言葉があるみたい。知らなかった。久し振りだなこれ。

ぞくじょう ―じやう 0 【俗情】


(1)世間の事情や人情。

「―に疎い」

(2)名利・愛欲などに引かれる卑しい心。また、世俗的な心情。

「―を離れる」




ほうほう。しかし話はここで終わらないのです。“俗情との結託”としてはてなキーワードがあったりする(短いけど)。やるな、はてな(短いけど)。


俗情との結託ぞくじょうとのけったく(読書)

作家・大西巨人の文学理論で排すべきもの。




ほう。大西巨人とな。名前しか知らない。ま、そういうことらしい。わかんないけど。


大蟻食先生はいつかエロも書きたいといったようなことをどこかで仰ってた気がするので、期待しております。期待してるのは―“余程の精度を達成したエロ”―ですよもちろん。私は抜く必要はないのでサプリでなくても大ジョブ。どーんときなされ。どーんと。