09年度第2回講義 1/?

ふうふう。録音を聞き返しても難しいなぁ。自分の言葉で書くのは大変なので引用で。

表現を劇的に一変させるような“ある認識”というものがある。もし一つの表現が行き詰っているように見えるとすれば、それは世界の認識そのものがその表現からずれてきているためであり、そういう時にはまったく別の表現が現れる可能性がある。



表現形式というものが何を表しているのか?


一つの時代に一つの様式だけが存在するわけではない。




フランスのアカデミズムの絵画、特に17世紀のアカデミーが主導していくスタイルというものが存在する。この二つの表現が併存するものとしてきちんと認められていたことを大前提としなければ、フランス美術というものの認識を間違ってしまうことがある。




例として下の二人の画家による二枚の絵が示された。


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"The Rape of the Sabine Women" POUSSIN, Nicolas



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"The Landing at Marseilles" RUBENS, Pieter Pauwel



プッサンルーベンスの違い。一番は輪郭線の取り方。色彩。空気の感覚。




18世紀に入ってからは、これらの異なる二つの絵、異なる様式は、論争はありつつも併存していた。歴史画家なのか?神話画家なのか?のほうが重要で、様式はどちらであっても構わない。世俗なのか崇高なのか。




風俗画はまた別。

ダヴィッドかブーシェではなく、ブーシェダヴィッド対シャルダンの差のほうが大きい。




この政治党派的抗争を終わらせたのがダヴィッド。『ホラティウス兄弟の誓い』




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"The Oath of the Horatii" DAVID, Jacques-Louis



このあたり、聞き返してもよく分からない。ダヴィッドが『ホラティウス兄弟の誓い』の出品を一日遅らせたことによって論争を引き起こしたのは分かるんだけど、なぜそれが政治党派的抗争を終わらせたことになるのか?アカデミーそのものの権威にとどめを刺したってことだろうか。


が、兎も角、18世紀にはプッサンルーベンスかという対立は消えていた。


はあはあ。疲れた。続きはあるかどうか分かりません。ゴヤは鬱になりそうだし。