わが命つきるとも 【A Man for All Seasons】

これを見た。





ジャッカルの日』と同じフレッド・ジンネマン監督。ということでこれは当然某哲也先生推薦。


うむ。これは素晴らしい。先日『ジャッカルの日』の話で出たので意識して見たら、やっぱりこれも音楽がとても少ない。たまに聞こえてくるのは宮廷などで演奏される音楽だけ。たいせつな会話が始まるとその音楽も扉とともに不自然なほど完全にシャットアウトされる。


こういう音楽が少なくてしかも面白い映画を見ると、映画にBGMをつけるというのは非常に難しい行為なんではなかろうかと思ったりします。下手な音楽をつけるとどう考えても邪魔にしかならないから。それでも多くの映画ではBGMがふんだんに使われていて、時折、曲調や音量ともに過剰だろうと思う映画も結構ありました。


そういった映画では、音楽は必要な構成要素ではなくて、単に映し出される画面の表現力の弱さを補うものでしかないのではないかと。先日大蟻食先生が書かれていた音を消して映画を見てみるというのはそのあたりの話ではないかと思います。ちがうかな?


何気なく映る川や空がとても美しい。収監されたトマス・モアが唯一外を見ることができる窓が、何でもない光景ながら一枚の絵のようにきれい。霧のなかを走り抜ける馬のシーンは何とも言えないほど沁みた。


建物や内装、登場人物たちの服装や音楽。僕には時代考証なんてわからないけれど、画面に映るもののすべてが本物のように見える。構図、というのだろうか。いろんな物や人の配置が落ち着くところに落ち着いている。ほとんど完璧に監督の頭の中に完成イメージがあって、そのとおりに作られているような気がする。


で。映画の内容は、偶然なんだけども『エリザベス:ゴールデン・エイジ』で見たエリザベスの父親がカソリックのくせに離婚したいと無茶なことを言っていた、まさにその話だった。ということで『ブーリン家の姉妹』(未見)とも重なる。確かに、この映画で見たヘンリー8世エリック・バナが演じるというのは無理がありそう。


権力のすべてを注いで国王の離婚をすべての国民に認めさせようとする中でトマス・モアだけが、ただひとり自分の信仰と法に対する信念を根拠に抗い、最終的には断首される。


このトマス・モアという人は極めて明晰な頭脳と、信念・信仰のために命を落とすことも厭わない(最終的には、という意味で)ほどの強靭な精神を持ち、しかも役所勤めをしているときから異常なまでに慎重で、なんとか離婚を認めさせようとする連中に付け入るすきを与えない。実際トマス・クロムウェルによる尋問(表向きは尋問ではない)では、お互いにかなり考え抜いた末に、極めて高度なところで言葉と論理の剣を交わしているように見えて、かなりスリリングだったけれど、結局はトマス・モアが完勝していた。


最後まで法理を拠り所に論理的に戦い続けたトマス・モアも、理不尽な反逆罪で有罪にされてしまう。しかし、有罪が確定した直後に、それまでどのような厳しい環境に置かれても固く閉ざしていた口(それこそが唯一生き残る道であり、その固さこそが信念をまげない範囲において全力で生きようとしていたという証拠)を開く。その圧倒的な言葉の力。沈黙は雷の如し。などというけれど、それを破ったときにあふれ出した言葉もやっぱり雷のような激しさを持っている。長く監獄に閉じ込められ、体力も落ち顔色も悪かった初老の男が椅子から立ち上がり、両脚をぐいっと踏ん張ったあの姿は強烈な印象を与える。というか泣きそうだった。とても単純な流れで、普通なら誰がこんなもんに乗るかバーカと思うところだけど、この映画では説得力があった。


正直な話、なぜ国王たちが、大法官とはいえすでに引退していた男の承認を、あそこまで必死に得ようとしていたのかがよくわからない。いや、承認が欲しいのはわかるけど、なぜ最後に矛盾した結論に行きつくのかがわからない。イングランドだけでなく、広くヨーロッパ
において知識人として名の知れていた男の沈黙があそこまで恐ろしいと思うのは、言論が、論理が、倫理が、国王・国教会側でも有効だったということに他ならないのに、最後はそれらすべてを無視して殺してしまうというのは、なかなか納得しづらい。どうせ非道なことをするなら最初から格好をつけようとせず、だってこっちの女のほうがいいんだもん、ほっとけ!と傍若無人にやればいいのに。ジワジワと進行するからこそああいうわけのわからん結果に行きつくんだろうか。


最後に反逆罪で有罪判決を下し、死刑を確定させた連中や、それに異議を唱えなかったすべての連中にとって、トマス・モアは愚かで醜く、卑劣な己を映し出す鏡のようなものだったのかもしれない。王の権力に屈したというよりも、いやな自分を見せつけられるのがいやで、たった一枚しか残っていなかった鏡を砕きたかったのかもしれない。周りは見渡す限り共犯で埋まっているという集団心理に、王の権威という後ろ盾があれば、尊敬すべきと知っている人間に死刑判決を出すことも簡単になるのかもしれない。かもしれない。かも。


一人生き残り、出世してベッドの上で死んだリチャード・リッチ(ジョン・ハート!)がゲイリー・オールドマンぽかったな。皮肉なことに大法官になったらしい。ふむ。このリッチは、かなり最初の頃に友人であるはずのトマス・モアから「おまえは約束を守れない男だ」といわれるんだけども、その理由がわからなかった。なぜあそこまできつい物言いをしたのか。ふむ。


そういや『ポッペーアの戴冠』も似たような話だったな。あれもどちらかというと倫理的によさそうな連中が死んでたし。人間世界はローマ時代からあまりかわってないのかもね。


そうそう。最後に。トマス・モアの妻、アリス・モアもとてもよかった。うん、あれはいいツンデレです。


追記:ちょー。ウルジー=ブッチャー枢機卿ってオーソン・ウェルズだったのか!ものすごい悪い顔。