それを言うなら「ポニョ」と「ゲド」でしょう

今日はネタがないなと思っていたら竹熊さんが『カンフー・パンダ』見たって書いてたので読んで見た。


全体としては、見事なCGとテンポのいいアニメーション演出で、最後まで飽きさせません。次々に繰り出されるギャグとユーモアの中に、ちょっぴり泣けるシーンもあり「難解な部分がまったくない親子で楽しめるアニメーション映画」としては、ほぼ「完璧な商品」だと言っていいでしょう。

(強調は私)



この最後の部分。これって実はすごいことですよ、と僕は思ったのですよ。宮崎駿もすごいけどドリームワークスもすごいよって(CGアニメをきちんと劇場で見たのは初めてだったから評価が甘くなった部分があったのかなぁとも思っていたけど竹熊さんも見事って言ってるからやっぱりあのCGはすごいんだよ)。


で、

カンフー・パンダ』はハリウッドが作った面白いアニメだと思っていればそれでよく、監督(作家)が誰であろうが関係ない種類の作品であるわけです。




まったくその通り。とはいえ、脚本なのか演出なのか分からないけど、あそこまで出来がいいとやっぱり欠かせない有能な誰か居たんだろうなとは思います。ああいうレベルのものに連続してかかわっている人がいるならきっとそのうち名前が出てくると思いますよ。


でです。監督個人の色が見てとれないからダメだとは全く思わないのです。CGアニメの工房があって、その工房としていいものを作り続けるというのはそれですごいことだと思うわけです。アニメーションに限らず日本の映画であそこまできちんと押さえるところを押さえた面白いものを作れる会社(あるいは監督)ってありますかね(あ、中島監督がいたか…)。


今思うと僕が竹熊さんの話に引っかかりを感じたのは、高いレベルの(職人)集団が集団として徹底的に細部にこだわり作り込んだものというのは高い作家性を備えた作品と比べて劣るとは思えないという点ですね。要するに問題はハイエンド工芸vs芸術ということになるのかな。すごい工芸品で作者の名前はもちろん工房の名前すらわからないものであっても、芸術と呼べるものはあると思うんですよ。別に芸術と呼ばなくてもいいけど、素晴らしいことには何の代わりもない。何世代も前から同じようなものを作っていながらそれでもその流れからはずれずに“そこで勝負する”ってのは悪くない。確かに『カンフー・パンダ』は僕も書いたし竹熊さんも書いているけど、予想を全く裏切らないまま終わるんですが、普通はちょっとひねりたくなったりはずしたくなるもんだよ。つまり逆を言えば「カンフー・パンダ』も宮崎駿(特に最近の)と同じように、ストーリーでは勝負しないあるいは価値を置いていない、代わりに動きやディテールで勝負しているんだってことだと思いませんか?これは映画ならばアニメーションに限らず重要でしょ?いつだったか宮崎監督の絵コンテの指示の書き込みを見たけど異常なまでのこだわりだったもの。CGアニメを初めて見たけれど、あの細かさはハリウッドの工房だって宮崎のこだわりには引けを取ってないと思う。


で、竹熊さんは宮崎駿が、その作品にしても作家としての立場にしても唯一無二の存在だと仰るわけですが、それもそのとおりだと思います。でもさ、そこでパンダ引かなくてもいいじゃん。


比べるならば、同じスタジオジブリというハイレベルな工房でつくられた宮崎駿監督ではない映画と比べるべきだと思う。あれですよゲド戦記ですよ。あれこそ技術的には同じ職人を使っているし、原作も世界的に有名な本を使っているのでよい比較対象になると思いますよ。


ところで

すくなくとも『ポニョ』って、過去の宮崎作品を見てきた経験から、おそらく「見かけ以上の何か」が含まれているだろうと想像がつくし、いざ本編を見てみたらその通りだったということです。要するに、テレビで流れる「ポーニョポニョポニョ」という主題歌を聴いた限りではどう考えても子供向けなんだけど、実際見てみると大人は大人なりにいくらでも深読みできる内容になっていたと

(強調は私)



ポイントは「見かけ以上の何か」というのが何だったのか?ということです。実を言うと僕はそもそも『ポニョ』を見る前に見かけから何か感じていたかというとほとんど何も感じてなかったし、具体的に何かを期待して見に行ったわけではないのでちょっと違うんですけど、確かに見たことのないような映像だったとは思います(し、それが目的だったので満足したわけ)。


で、竹熊さんは「いくらでも深読みできる」ということですが、あれたぶん深読みするようなところはないですよ。少なくとも宮崎監督が意識して仕掛けているとは思えない。この前NHKでやっていた『プロフェッショナル 仕事の流儀 スペシャル 宮崎駿のすべて』を見たけど、ストーリーないんだもん。監督自身ストーリーは後からだってはっきり言っているし(気になるのはいつからそういう作り方になったのか?という点。コナンとかラピュタでもやっていたというなら驚き)。要するにすごい映像を、すごい場面を作りたいってのが宮崎駿監督の一番の欲求なんですよ。だから深読みなんて挑戦したってほとんど意味はないと思うですよ。


ただ、だからといって見ていてムカついたりしないのは、宮崎駿がどこぞの某かのように、そもそも身もないのに客を釣るために衒学的な誤魔化しをパラパラとふりかけ(本来の意味に近いねこりゃ。胡麻をかけてるみたい)ているわけじゃないってわかるから。単にまとめ切れなかったな、おしかったなとニコニコしながら許して差し上げる(!)ことができるんですよ駿爺の場合。


最後に。レオナルド・ディカプリオが鑑賞者としても結構凄いってのが分かって驚いた。竹熊さんとこからの孫引きですが、

ディカプリオ:「ぼくは平気だから言わせてもらうけど、自分が参加させてもらった2本の映画(『ギャング・オブ・ニューヨーク』『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』)を無視すれば、『千と千尋の神隠し』がベストだと思う。ぼくがいままで見たどの世界とも違ったオリジナルな世界観で、2時間の上映中、ファンタジーのなかに完璧に浸ることができた。あの映画には日本的な要素が多分にあるんだろうけど、同時にそれだけじゃないものも見て取れて、別の惑星かなんかで作られた映画を観ているような気分だったよ」

(強調は私)



やりおる喃レオ。