いや、正直すまんかった

なにがすまんのかと言うと例の平城遷都1300年祭のマスコットキャラクター(平城遷都1300年祭マスコットキャラクターの愛称を募集!)のことです。正直、初めて見たときには吹きました。なにやら気持ち悪いキャラだし、選んでこれかよ!みたいな怒りがちょびっと湧き出たりもしました。


しかしです。発表後の嵐のような非難ののち、天邪鬼である私はいったいあの顔、姿のどこがこんなにもワタシを不快にさせるのかを究明すべく、あれを自宅PCの壁紙にしまし、さらに仕事場においてもA4に印刷したものを左斜め前の壁に貼るという暴挙のような修行のような意味不明な行為に及んだのです。それから毎日、朝な夕なに自宅PCで眺め、仕事中もことあるごとに少し顔を上げ、左前方に貼られたあの姿をちらっちらっと眺め、一日中あの不気味な、自然と人を不快にさせるお顔と対決して参りました。


3日ほどたったとき、不快感が消えました。すぱーっと。綺麗さっぱり。今ではだぁいすきです。ぞうさんよりずーっとだぁいすきです。


あの不快感のもとはたるんだ肉体や角ではなく、やはり顔が原因のようでした。大蟻食センセの講義の話でも書きましたけど、人間はやっぱり同じ人間の顔に自然とひきつけられるのです。で、あの顔のどこが問題だったのか。それは実に微妙な点でした。


じーっと見ているとですね、あの微妙な目尻、微妙に曲がった唇の端、眉と目の間の微妙な距離とその微妙な曲線。これら全てのパーツの、形というより動き、というか、目鼻立ちというよりその仕草・表情が微妙に不安定なのです。一見、笑っているように見えますが、目尻や眉、唇の端のゆがみ具合に注目してみると笑っていないようにも見えます。それに見ているこちらを小バカにしているようにも見える瞬間もあるけど、そうじゃないような気もする。こどものように見えるけれども、じっと見ているとある瞬間には大人のようにも見える。


この微妙さ不安定さが私の感じた不快感の元だったようです。種が分かってしまうと、不思議とこれまで感じていた不快感が消えるのですね。はっはっは。いや、これはいいキャラですよなかなか。今でも角はいらん気がしますし、500万円の価値はないだろ、ふざけるなよとも思いますし、もっとオープンな形で、例えば市民や県民も含めて候補を角って、さらに投票するといった方法、なんかで選べよハゲ!とも思いますし、そもそもこの騒動の起こる前からあの先生の作品はどちらかというと嫌いでしたが、このキャラ自体はなかなか良いと思うようになってきました。


なんつうか、能面というか仏像というか、じーっと何度も何度も見ることで初めてその面白さが分かるというタイプの顔なんでしょう(ただ単に慣れただけという可能性もあるけれど、生きている人の顔だって同じだし、まぁいいじゃんか)。ただ、一般の観光客や子供が、そのようにぱっとみ不快感を感じずには居れないようなこのキャラをじーっと見てくれるとは思えないので、そういう意味ではマスコットとしてはやはり不適格かもしれない。でもね、じーっと何度も見ているとそれなりに味が出てくるのね。仏像眺めるようにこいつを眺めてやればいいと思うよ!思うよ!