ブレードランナー

見てきましたよ、『ブレードランナーファイナルカットだったっけ?いやさぁ、伊藤くんがあんまり褒めるもんだから君、梅田まで行って見てきました。


もう、臭いのなんの。特に梅田の歩道。息をするのも詰まるほどであれはもうダメなレベルだと思うんだけど笑いながら歩いている女性も多くて引いた。慣れるって怖いですねぇ。あと煙草吸ってる馬鹿が多すぎる。もう老若男女問わずあちらこちらで吸ってる。死んでいいですよ、さっさと。もうね、病気だもん、中毒だもん、目がおかしいもん。こんな街、巨神兵で焼き払え!


と、散々な場所ではありましたが映画館それ自体はなかなか大きい箱で大きなスクリーンでした(梅田ブルク7というところ)。7階でチケかって12階までエスカレーターで上がるのが面倒だけど、まぁあの大きさなら我慢できるかと。


映画は、凄いというのを読んでいた所為なのか、思っていたほどの衝撃はなかった。確かに今年初めて公開したといってもおかしくないくらいだけど、小道具がどうしても古臭い。SFで2007年現在でもその設定は未来なんだけど、古く感じてしまう。まぁ『ブレードランナー』自体何度か見ているし、『ブレードランナー』を部分的にぱくったSF映画やアニメーションを見ていて既視感があるし、それらはそれなりにデザインを新しいものに変えているから本家のほうが古く見えてしまう。


あと、よく出来た、出来すぎたアンドロイドが感情を持つことで現れる問題というお話自体もちと古いか。いまだとやっぱり『攻殻』やら今日もやっていた『電脳コイル』のような人体から離れて外部のハードウェア上、ネットワーク上にのみ存在する人格というお話のほうが面白い。ロボット、アンドロイド、人工知能あたりの技術的な限界がリアルに感じられるところまで来ている一方、電脳のほうは、人間の脳の研究もそれに付属したハードウェアの方もまだまだこれからという領域(に見える)からでしょう。


ということは。SFっていう分野はお話の“生もの度”が高いということになるのかな。いつか現実に追いつかれ追い越されて。いつまでも追いつけないあるいは現実世界の進む方向とはかけ離れた方を向いた作品はヘボな作品ということになるし。アンドロイドは電気羊の夢を見ることはないだろうと思われてしまったら、精々が「ああこういうことを人類が夢見ていた時代もありましたね」「懐かしいね」で終るし。ま、それはそれでいいのか。それこそ構造がしっかり作られていれば楽しめるか。


しかし、古いばかりではありません。なにしろハリソン・フォードが若い。いや、若いわけではないか。むしろ今と変わらない辺りが面白い。ブッ飛ばされて痛い目にあったときに、目をぱちぱちと瞬かせて何かに驚いたような顔をするところなんて今と一緒じゃん。全然成長してない変わってないじゃんハリソン。まだ若かったはずなのに、アクションシーンでは両腕を振り回してよたつくし、人ごみに押されて全ッ然進めないし。あのダメっぽさは歳じゃなくてハリソン・フォードの個性だったのね。


それに比べてルトガー・ハウアーの元気なこと。パンツ一枚でうがー!うがー!と唸りながらデッカードを追い詰めるところなんてごつい身体を持ったキチガイだもん。怖いよそりゃ。しかしあの腰の高さと幅の広さはなんか、こうマヌケ。アメリカンな体型。兵士バージョンというからアレでいいのか。でも、完璧なアンドロイドというならアラン・ドロンのほうがすっきりしていていい。本物の兵隊で戦争にも行って人も殺したとか言われてるし。


まぁ、80年代全開・フルスロットルな映画でした。面白かった。あ、強力わかもとの衝撃は初見時そのままでした。やっぱりあれは反則だわ。