小学生のガキんちょどもが夏休みに入ったと思ったら、大蟻食せんせの夏休みはあと1週間しか残ってないですね。ご機嫌いかがでしょうか。


今回も、内容が守備範囲外なもんでアレですが。

たとえばアステアのダンス映画か、な『恋の骨折り損』は舞台で見たら相当楽しかったんじゃないかとは思うが、映画で見ると、このクラスの役者でもアステアやロジャースみたいには踊れないんだね、ばかりが目に付くことになる(拾い物だったとは思うけど)。



読んでいて一瞬、ん?となる文章ですね、ですがぷログとはいえ良いんでしょうかこれでしかも小説家なのに。と返してみましたが実はこういうの好きです。ダンス映画か、んがんっんっ、踊れないんだね、んがんっんっと。リズムがね、不整脈を起こしそうなのがね、いい。


昔はケネス・ブラナーとヴァージンのリチャード・ブランソンの見分けがつかなかったんだけど、最近のケネス・ブラナーがなんだか太ったのか、見て直ぐに分かるようになった。いつもいつももうチョイなイギリス臭い映画を撮ってる人だという認識なんだけど、この人の代表作ってなんなんだろう。いまいちわからん。


わからん、といえばここもわかんね。

『わがままな巨人』症候群のワイルドじゃないんだから泣くのはやめようと思うんだが。



とりあえず『わがままな巨人』は短かったのでサクッと読んだ。だけど、これと美しいものを見るとつい涙が流れるという現象がつながらない。あれか、ひょっとして巨人ならぬ鬼の目にも涙ということですか自覚あるってことですか。う。う。こっちから言うのはいいんだが、自分で仰るとなるとちと胸が痛くなるなぁ。なんでだろう。


胸が痛くなる、といえばこっちの方か。

でさて、『それでも生きる子供たちへ』だが、七篇をひっくるめて言うならこういう映画だ。



この後、箇条書きで6つの項目が並ぶわけだが、7つひっくるめて6つて。お姉さんちょっと。それは。ないんじゃ。ないの。


ひっくるめたなら3つくらいにして欲しかったな。できないならやぱり7つ。まぁ、いいけどさ。


大蟻食先生にとってはあまりよい出来ではなかった様子。なんというか、いまや懐かしいホワイトリングっぽい映画ということなんだろうか。というかアムネスティか。こういうのはノン・フィクションというかドキュメンタリで撮る方がいいんだろう。それだって、“状況に対する真面目さと、映画に対する真面目さ”は問われるわけだけど。これって、例の『虐殺器官』のナイーブさの話と関係あるんだろうな多分。


微妙なんだけど

特に美少女って事はないんだが、掴まえてむにゅむにゅっ、としたくなるような可愛らしさで、それが花売り娘なんかさせられながら学校の門に齧り付いて、美人の先生に当ててもらった自分がはきはきと答を言うところなんか妄想してるのを見ると、もう堪らんのよ。



ということらしいので、是非見てみたいんだが調べるとうちのエリアでは27日(金)までだってさ。無理。まぁお金もないんだけどさ。穴の開いた靴を修理に出さないといけないし。泣けるでしょこれ。あ、これで映画撮れるかなぁ。


p.s. 掴まえてむにゅむにゅというところで、シータをむにゅむにゅするドーラを思い出したのは僕だけでしょうか?