サーと呼ばれる生贄

古本買ったけど読んでません。が。

そうでなくても、何と言おうか、ヨーロッパ人に擦りよってかいぐりかいぐりされてるルシュディ、というのは見たくなかった訳で(まあ、ファットワの後では他に生き残る策がないのかもしれないが、それでもさ、もうちょっと毅然とした姿勢ってもんはあるだろ、とずっと思ってた)、できれば断ってほしかった、というのが正直なところである。



ウェブをウロツイテいたときに読んだけど、ファットワって取り消せないらしい。まったく鬱陶しいことをやってくれるよなホメイニの爺さんも。ってイランかよ!これはイラン人にサー・ルシュディを殺させて、それをネタに追い詰めようっていうエゲレスの罠ですね。


イランも革命から随分時間が経ったので、革命前を知らない世代が多くなってるんでしょうねぇ。もう取り返しのつかないところまで来ているのかもしれません。


兎も角、このところ大蟻食さんのおっさる事柄にどうも手遅れ感が漂っているのが気になる。いや、気になったところでどうしようもないけれど、これはもう、第三次世界大戦が起こって死屍累々累々累々になって、半分更地になるしかないんではないかと。そこまで行った挙句、生き残りの連中がまた数十年黙り込んだ末に、最近なにやらきな臭くなって来たので愚行を繰り返さないために沈黙を破ってお話したいと思います、などと死ぬ直前になって言い出すんだろう。結局繰り返しだ。ただそのうち振幅が大きくなって、閾値を越えたところで人類終了。となるんでしょう。とりあえず、俺が死ぬまでは御免蒙りたい。