これは書かねばならぬ

まんずはぁ。その昔、某2ちゃんねるでストーカー呼ばわりされたわたくしとしては面目躍如(は言い過ぎか)としたい。たい。


朝見たときのバージョン

週刊誌も、今で言うオピニオン雑誌も、近所の本物の共産党員に頼み込まれて取っていた『赤旗』まで読んでいた。だからそれが《全体主義》の一類型であることは承知しており、故に間違っているのは彼らであって私ではないと知っていた。知識が助けになることだってたまにはあるのだ。ただ当時は「アカめ」と罵倒することを知らなかっただけだ。したって状況を悪化させるだけだっただろうけど。




で、現在のバージョン

週刊誌も、今で言うオピニオン雑誌も、近所の本物の共産党員に頼み込まれて取っていた『赤旗』まで読んでいた(この 『赤旗』は役に立った――学校で行なわれていることがアカいということを漠然と悟らせてくれただけではなく、たとえば共産主義者がエイリアンの存在を断固 として認めないとか、『カモメのジョナサン』は反革命文書であったりとか教えてくれたのだから――狭量で頭の悪い奴らだぜ)。だからそれが《全体主義》の 一類型であることは承知しており、故に間違っているのは彼らであって私ではないと知っていた(私に言わせれば、ウヨもナチもアカの仲間だ)。知識が助けに なることだってたまにはあるのだ。ただ当時は「アカめ」と罵倒することを知らなかっただけだ。したって状況を悪化させるだけだっただろうけど。




面倒なのでついでに書こう。『赤旗』は読んでいなかったが、間違っているのが周りの連中であるということは俺も知っていた。まったくもって自分の頭脳だけでたどり着いたのだから昔の俺は大層偉かったのだ、ふむふむ!ただし『カモメのジョナサン』は嫌いだった。嫌いといっても読まず嫌いであって、何故なら珍しく父親が薦めてきた本であったからで、息子たるものおやぢの薦める本など燃やしてしまうのが正しい対応であろう(違ったっけ、亜紀たん?)。新潮文庫の装丁も気持ち悪かったし。とはいえ、その後読んだときには『長距離走者の孤独』の次次点くらいには食い込んだ(たぶん。だって伊丹だぜ?)。


次。ここは別に変わってないんだが。まったくもってその通りである!なむなむ!フォントをボールドにして引用したい。


個別利益の積み重ねの上にしか民主主義は成り立たないし、成り立たせてはならないと信じている。それも全て、このプチ全体主義経験の賜物だ。当時平然とプチ党員だった連中は、また別の立場を取っているのだろうが、そういう連中の、ついぞ我が身とその利益を省みたことがないと称する(無知のベール、って奴だね)言動を見聞きすると、その党員根性ぶりに吐き気を感じる。実に、実に、結構な教育をしてくださったものだ。出来ればそんな経験、なしで済ませたかったけどな。



ていうか、した!頭から尻尾の先まで、もう非の打ち所が無い。完璧である。膝を打ちすぎて故障者リスト入り間違いない!責任者出て来い!


『こういう連中を並べてBarrettの試し撃ちしたい!』とか書いても当然のことながらはてなキーワードにはなっていない。何故ならはてなでプレゼントしてくれるわけではないからだ。せっかく近藤君がアメリカへ旅立ったというのに、これくらい太っ腹なプレゼント企画してくれてもよかろうもん。ちなみにこんなん → http://www.barrettrifles.com/


ぷはぁ。こうふんしてきたきたきた。おちつけおれ。ん?かんじがかけないぞ!ひぃひぃふう、ひぃひぃふう。


↑以降の2つの段落は追加されたものである。

兎も角、教師諸君は大いに反省して欲しいものだ。教師は読み書き算盤を教えて、あとは学内の治安だけ守っていればいいのである。



これまた完璧である。と言いたいところであるが、玉に瑕。反省などというまともな行為ができる人間が教師なんぞなるはずがない!有り得ん!家はプチブルではなかったが、身内には教師がいっぱい( ´∀`)(爺さんがその昔校長であったということで、教師からいたぶられることは無かったが、それでも回りにあわせて丸刈りにしろなどというキチガイ発言が当たり前のように横行していた)。


嗚呼、灼け死んでも構わないから太陽がいっぱい( ´∀`)の方がなんぼかマシ。というわけで、教師なぞ下の下であることなどとっくにまるっとお見通しなのだ。少なくとも京都と兵庫の教師はゴミである。知っている限り一人残らずゴミだった。いや、ゴミならリサイクル可能ではないか。あんなものはロケットにのっけて太陽へ突っ込ませるべきだ。いや太陽に悪い。ぶらっくほーるへつっこませろ。


おちつけおれ。ひぃひぃふう。あんまり興奮するとなにかを産んでしまいそうになるな。ふう。

と言う訳で、幸いにして私に子供はいないが、いたとしても学校にはやらないと思う。教師のアカごっこ(最近は代りにウヨごっこなんだろうな)に付き合わせて時間を無駄にさせるのはあまりにも可哀想だからだ。

まぁ、そうだろう。一昔二昔前にもこどもを学校にやらない一家というのが何組かあったが、それこそキチガイサヨクかヒッピー崩れという扱いであったな(まぁ、そうなんだが)。まともな図書館があればそれで十分だったんだが。だが。だがしかし!!


私の行っていた学校はそんなものとは比べ物にならないくらい野蛮な、子供が手足を挫くとか骨を折るとか流血するとかは日常茶飯事、男子どころか女子を羽交い締めにして下着を脱がせて遊んでも無問題、という場所で、しかも著者にとっての四谷大塚のような逃げ場所は、何しろ山の中だ、何一つなかった。



全俺が泣いた!まったくそのたうりだ。まったく(;;)大蟻食、君なんて俺?だな。最近けこんしろけこんしろ身内も他人も五月蝿いがこんな人じゃなきゃイヤイヤ!つれてきたら考えてやる。つれて来い今直ぐ!(いえ、週刊文春のお写真がなかなか写りがよかったからとかではないですよ。多分)


お、おちつけおれ。心臓が。うう。次。

人間の心の中まで手出ししないように。私が知っている数少ない尊敬できる教師は皆そういう真似をしない(まして餓鬼どもの頂点に君臨して首領様ごっこなんかしない)タイプであり、理性と、高度な専門知識と、他人の心の中、即ち内面の生活と思想信条には踏み込まない節度によって尊敬すべき教師であり続けた。

もうね、ボールドの大安売りだよほんと。僕は小中高全滅だった。大学の先生でやっとまともな人に出合った(焼き払うべきというか、巨神兵に焼いて貰いたいクズ教員も一杯いたけど)。まったくほんとうに上に引いた通り。なにも足さないなにも引かない!だ。サントリーの山ちゃんだ!!とことん考えると行き着く先は同じになるんだな。ふ・し・ぎ(#゚∀゚#)


まぁさ、高度な専門知識を除けば、当たり前の大人の姿だと思うんだけどね。無理なんだよなこれが。大蟻食さんは毒舌だし人格を疑われまくってるけど(ネット上ね)、まだやさしいというか甘い。


とはいえ、

特殊な時代の特殊な状況とお考えかもしれないが、ああいうのが好きな手合いはいつでも、それも沢山、いるからね。



そうです。これとか吐き気がするもんな。

体罰を加えたことをわびる教諭に、教諭の熱意を正面から受け止めた児童と保護者京都府京丹後市の市立小学校で、「クラスメートへのからかいをやめなかった」とクラス全員に体罰をした男性教諭(28)が辞表を提出した。しかし、保護者のほぼ全員が辞職の撤回を求める署名を提出。思いとどまった教諭は謹慎処分が解けた8日、児童らと互いに謝罪し、きずなを深めたという。市教委は「近年、学校に理不尽な要求をする保護者が増える中、教諭の熱意が通じたのでは」としている。



これに対する反応見てみ? → はてなブックマーク - http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya060903.htm


いい話だとかいってる馬鹿がいっぱい( ´∀`)!(またいっぱい( ´∀`)か!おぱいのほうがいいぞ)。


ね、やっぱり沢山いるんですよ、こういう手合いが。あれです、酒々井君の同僚でハナミズ垂れ流したような連中ですよ。ほんとぜつぼーした!


体罰禁止なのは当たり前。やるなら辞表出すのは当然。当たり前!体罰やってもいいとか言ってるクズは今直ぐ死んじゃえ。大体体罰食らわないと分からんような馬鹿と一緒に扱われる謂れはなかったぞ。その昔の、あきらかにもやしっ子で、おぼっちゃま(髪型だけ)で、ご本ばかり読んで、常に品行方正だった、今となっては幻のような僕は。こんな話がいい話だなんて思う馬鹿だけ集まって学校作れ馬鹿!


などと、まったく非の打ち所の無い完璧な批判を展開してみせたところで、批判の対象者がこれまた非の打ち所の無い完璧な馬鹿であるため、まったく暖簾に腕押、猫に小判、馬耳東風。


もうなにがなんだかわからなくなった。ひぃひぃふう!ひぃひぃふう!


ぷぎゃー!! ちょっと前にストラテジー単行本への質問にコメントが来てますよ大蟻食せんせ。DVD見直すの面倒だと思いますが、そこはひとつ。


ふぅ…読み終わっていないにも係わらず、しかも夜中にこれだけの分量を書き上げるあたり、先生もさぞかし興奮されたのであろう。とはいえ、こずくが小突くになおっていたのは流石だ。おやすみなさい、古今東西いたるところに居ただろう亜紀少年。あ、俺も。