どうも『小説のストラテジー』の内容をすっかり忘れてしまったらしい。


気になったので読み返したら面白くてしょうがない。ほんとあほだ。


というフリを書いておきながらストちゃんには触れない。以下、ミノちゃんのメモ。

誰にでもどん底というものはあり、シチェルパートフにさえ、それはあった。最後から二番目のどん底は、一人息子が一言の相談もなしにオデッサで教師になると決めた時だった。

P13




二番目、ということは一番目はヴァシリに撃ち殺される時だろう。つまり。これを語ってるヴァシリは

引き金を引くのは、恐ろしいくらい簡単だった。

P129



よりも後のヴァシリ。


もう一つ。これまで何度か引いたここ。

人間を人の格好にさせておくものが何か、ぼくは時々考えることがあった。

P269




これと対になっているらしい箇所発見。か?


それ以上に美しいのは、単純な力が単純に行使されることであり、それが何の制約もなしに行われることだ。こんな単純な、こんな簡単な、こんなに自然なことが、何だって今まで起こらずに来たのだろう。

P182




ここも結構力が入った記述。ここでヴァシリは獣のような人間と彼らの暴力はとても美しいと言っている。


少年ヴァシリが物理的な限界以外の制約をすべて取り払った状態を美しいと感じたということ。これも一つの自由。


制約が人を人たらしめていて、それを取り払うと人は溶解する。ヴァシリはそういう自由が何を意味するのか、理屈の上ではP182の時点で分かっていた。しかし実際ウルリヒを殺すことで最後のひとつ(制約)を剥ぎ取ったヴァシリは自分を美しいと思っただろうか。そんな風には見えない。


頭で考えた(外側から眺めていた)ことと実際の姿のギャップ。そこのところがとても子供らしい。いや、子供の子供に限らないか。とにかく哀しい。