昨日の続き

以下のコメントもらいました。

濁 『そもそも「病院」=「強姦殺人者」という前提そのものが間違っている(過失と故意)ので、妊婦さんの遺族と本村氏と同じことを言っているという結論は納得しかねるのですが。

それとも、過失致死と殺人は同じ罪だと主張されるのでしょうか?』



「病院」=「強姦殺人者(殺人強姦?)」とは書いておりません。「過失」と「故意」を同列にしているわけではなく、法の外の話なのか、中の話なのかということです。どちらも法律という点では同じです(民事と刑事の違いも同じです念のため)。

妊婦のご遺族と木村さんが同じことを言っているともかいておりません。妊婦さんの話ほうは「これこれこういうことを言っていたら」という仮定です。

過失致死と殺人が同じ罪だという主張でもありません。殺人じゃねーのこれ?という過失致死やその逆のパターンに見える事件もあるでしょうが、それはまた別の話です。


言いたかったことをモロに書いてしまうと、話の対象は実は本村さんでも妊婦さんのご遺族でもありません。そういう風に書いた(最後に)つもりだったんですが。


対象は、二つの事件(あるいは事故)をめぐって騒がれている内容と騒いでいる人です。結論そのものを書くと、


どうもどちらの場合も賑やかな人達というのは、一見理性的に見えながら実際は感情的でしかない場合が多い


ということです。


木村さんの場合ですが、彼の「自分が殺す」発言は許されるべきものではありませんよと。少なくとも、現状の法体系の枠組みの中で生活しようとする人間が聞き流してよい発言ではありません。ただし、あの発言が一時的な感情による(つまり頭に血が上り、つい言ってしまった)ものならば、話は別です。が、彼は私が見る限りいつも理性的であったし、どう見ても頭が悪いひとではありません。解っていてやっているということです。


もう一度考えてみると。死刑判決が確定しなければ自分の手で殺すというのは、自分の納得できない判決が出た場合は、自分自身が法を犯すと宣言しているのですよ。そんなバカな話はありません。しかし世間では受けがいいようで、中には半ば本気ではないかと思えるような支持もあります。これ(支持)はどう見ても理性的ではなく、感情論でしかありません。が、言っている人達はどうやら自分はまともな遵法精神を持った理性的な市民だと思っているらしい。←ここです、対象。


一方の大淀病院のほうは。どうやら極めて稀な症例であり、病院側がミスなく対処していても(実際していたかもしれません)助からなかったのではないか、という話です。が、昨日も書いたように、それはどう見ても素人である患者が直ぐに理解できるような話じゃないでしょうと。ならば、19箇所で受け入れを拒否され、生駒山を越えて大阪まで運ばれた挙句亡くなった以上怒りの感情を持ったとしてもおかしくは無いだろうと。問題があるとすれば、実際に訴訟を起こすまでに、なぜ専門的な知識に基づいた判断が行われなかったのかという点でしょう。ひょっとするとそれを考慮した上での訴訟かもしれませんが。ともかく。少なくともこの遺族は、気に入らない判決が出たら法を犯しても復讐するなどという主張は今のところしていません。


確かに、報道の後出てきた専門知識を持つ医師の説明を聞いたあとで考えれば突っ込みどころ満載なのかもしれませんし、正しい知識に基づいて叩いている俺ってリテラシ能力タカス、理性的!かもしれません。しかし、昨日のリンク先の天漢日乗さんのエントリを読めばお解りいただけるかも知れませんが、私は遺族が理解し納得することが容易い状況ではないと判断しています。にも関わらず、遺族叩きが結構見受けられるという点が引っ掛かったわけです。


どちらの事件についても色々と世間的に盛り上がっていますが、そのどちらの盛り上がりも状況をよくするほうには影響していないということも記憶しておいたほうがいいかも知れません。一方は感情的に理解できるならば、殺人予告(条件つきとは言え)を公の場で宣言する=法による秩序という仕組みそれ自体を否定すること、がまかり通ることに加担しています。もう一方の遺族叩きは自らの鬱憤を晴らすくらいのものであって、もちろん遺族を癒すわけはなく、医療体制の改善にも役に立ちません(なんせ対象が遺族)。後者にはメディアによる病院叩きもありますが、天漢日乗さんはそれこそ理性的にきっちりと切り分け、問題はマスメディアによる感情的な誘導であると書いておられます。


このように書くとまたスポンジさんから、お前は例のキチガイ弁護団を支持するのか!などと、どう見ても論理的におかしいコメントなどを頂きかねないのでエチケットシートを引いておくと。そんなことはありません。ありえません。


木村氏の発言だって、感情的には(完全には解るはずもありませんが)分かりますよそれは。ただ。法の埒外で生きてきた、あるいは生きていくというのであれば、裁判の結果など無関係に殺すのが筋でしょう。それならば僕は理解できます。また、法の下で生きてきた、生きていくというのであれば、最終的な裁判所の判断に従うべきで、被告を殺すのは筋違いです(それに勝った時だけ結果を受け入れ、負けたらイカサマだといって暴れるなぞ、みっともないにも程があるでしょ。どこがサムライかと。余談ですが)。


しかし。先の発言が、彼が自身のことを卑劣と思われようと姑息と思われようと、兎に角望みの結果を手に入れるというただ一点のために動いた結果であるとするならば、それはそれでよいとは思います。ただ、その手法は影響を与えんとする対象を馬鹿にしているとしか思えないので僕は支持しません。彼が議員にでもなり、合法的に活動していくなら話は別ですが。


ということで、基本的に昨日の話は世間の反応についてであって当事者の話ではありません。今日もまた書き流しっぽいところもあろうかと存じますが、ご容赦ください(無理ですかね)。


おやすみなさい。