いや、2回目だか3回目だか、ようやく読み終えた。まったく覚えてなかった。ので面白く読めた。健忘症も悪くない(@アフターゼロ)よね。何度でも美味しい。


というか数ヶ月掛かった。すっきりついでに今日2ヶ月延滞していた図書館の本を返してきた(もちろんポストへ)。しかも同時期に『きつね〜』も読み掛けてたしトマス・ハリスハンニバル・ライジング』(映画の予習のつもりだったが、間に合わんかった。というか紫=ムラサキて。ユカリだろ普通)も読みかけというテイタラク。濫読とはいうけど、同時期につまみ食いのように色々読むってのはどう考えてもいかん。堪え性が無くなったんだろうな。ま、一生分我慢したし、もう我慢なんてしないもんねー。


で、『鏡の影』だけど、読み方も拙かったうえ、色々と思うことが多すぎて纏まらん。とりあえず今頭にあることは、幻想的な場面といわゆる現実的な場面の切り替え(夢とかされこうべとかフィリッパ、シュピーゲルグランツとか例の修道院の地下の漫才とか)がとても面白いという点ですかね(かねって俺)。で、夢と現の間をゆらゆらと行きつ戻りつしながら、結局、最後(最期)にはサラッと非科学的なことをやるあたりどうなんでしょう。効果という点で。


あと、見る人間によって見え方が全然違うところとかね、なにか裏があるんだろうなとか。あれです、グァネリウスから見たアグネスとか、ヨハネスから見たフィリッパなんかのことです。単純に見た目の話なのに評価が全然違う。まぁ、一番信用できる(視点)が実はファーネだったりするんですね。ファーネって物凄く貴重な役やってますね。ファーネ=大蟻食ではなかろうかと思うんですけど。


この後は、息と土とヘブライ語について調べる。つもり。たぶん。