これ 殿様に御苦労と言っていい、懸念される漱石、自分と違う他者に会え - 吹風日記


ま、日本語の乱れがどうのこうのってのはあんまり気にならないんですけど。乱れるってのは基準があってそこからズレテルゼってことなんでしょう。基準はなにかと言うと、そりゃ井上ひさしの作品で書かれた(あれ?忘れた)ように明治あたりで作った日本語が元になってるんでしょうたぶん。ここで、標準語と間違い、方言と標準語の違いの2種類の違いがあることになります。それがごっちゃになってる気がするんです。


また、重複表現について書かれているんですけど、コメント欄にあるように強調としての重複表現と単なる間違いの重複表現はやっぱり違うんじゃないでしょうか。基本的な使い方と強調としての使い方は違うでしょう。いつも重複しているといざ強調しようとしても上手言い換えが出来ないわけです。もちろん話し言葉では流れもあるので意味が通じていれば細かい間違いを訂正する必要なんてないし、強調かたんなる間違いかを判断するのも面倒くさいしやらないでしょう。でも書き言葉では異なるでしょう。一流の書き手云々というのも、一流だからといって間違いがないなんて有り得ないわけで、どうも全体的に誤魔化されてる気がするんですね。


古文も漢文も殆ど知識がないのでたらちねのところはわかりません。パス!


たらちねのあとに挨拶と“「怒り心頭に発する」などという慣用句”の話が出てきます。挨拶ってのは慣用句以上に語源の意味が失われているので、それを持ち出して説明されるのはちょっと変。小学生かって言う前に逆に失われた部分について、「こんにちはは本来、後ろにこれこれこういうものがくっ付いていたんですよー(忘れた)」とか一度は教えておいていいんじゃないかと思います。もしもしとかね。


慣用句の「怒り心頭に発する」と「頭にくる」を比べて怒りは発するのかくるのかどっちなんじゃいワレ!整合性がとれてへんやないかいヴォケ!ということらしいのですが、怒りが発したり、来たりいろんな形をとっても全くおかしいとは思いませんがいかがでしょう。ま、気になったので調べたらなんか仏教から来たのか漢文から来たのか判りませんけど心頭の頭には意味ねーよということらしいです。で、怒り心頭に発するというのは溜まっていた怒りがボカーンと飛び出してしまう様子のことらしいです。一方頭に来るは鶏冠に来るや血が上ると並んでいるので、カーッと頭に血が上る様子を示してるみたいです。ね、そもそも意味が違うんですねー。


で、「食べれる」ですけどこれは方言としての食べれると標準語からずれたいわゆるら抜きの2種類に分かれるでしょう。方言を方言として書くときをのぞき、書き言葉としてはら抜きを避けるべきでしょうね。


最後に夏目漱石ですけど、適当いい加減な当て字をいっぱい作った人なので、いまさら何をといった感じですかね。


とはいっても御苦労の話のように時代によって変わるものなのは間違いないので、結局は程度、つまり感覚で判断されるものなんでしょう。全然を否定で受けるのか肯定で受けるのかとか。新たしいが新しいに変わったとか聞きますもんね。入れ替わるときがどこかにあったはずで、勢いがあればいくらお上が文句つけたって変わるんですよ。お上の文句に文句つけようとつけまいと。話し言葉で大勢が逆転したあと書き言葉でもOKという流れでしょうから可成り時間は掛かるでしょうが。


あれ?グダグダになってしまった。なんだっけ。そうだ、科学で使われる言葉や数式は厳密な定義があり、乱れを出来る限り排除するものですが、そこはどうなんでしょう。勉強や知識を得ることにはならないのでしょうか。もっと言えば言語感覚が同じであっても(有り得ないけど)、「自分とは異なる他者」に合うことはあると思います。というより言語感覚の違いなんてどうでも良くてもっとその人の芯の部分の違いのほうが興味あります。それを知るには言語感覚の違いはノイズになりますね。あ、ひょっとしてあれですか、ウィトゲンシュタインとか出てくるほど厳密な言語についてのお話なんでしょうか。だとしたら僕はひっこむしかないですね。


コメントで「お腹が頭痛する」とありますがそれは重複ではありません。「頭の頭痛が酷いのです先生、なんとかしてください」なら重複でしょう。これを聞いて、言語感覚の異なる、「自分とは異なる他者」との出会いであるからして楽しいよねっていう人はいらっしゃいますか?


ちょーおまえそれ!「馬から落ちて落馬した」だなーwwとしかめっ面に向かって笑顔で突っ込むのがもっとも適切な対応の一つであるという気がするなあ。教えるなんてオコガマシイし。


ついでだ。

ごんご-どうだん ―だう― 1 【言語道断】

(名・形動)[文]ナリ

〔「言葉で説明する道が断たれる」の意から〕

(1)〔仏〕 根本的な真理が言葉で説明しつくせないこと。

(2)あまり立派で言葉で言い表しようのないほどであること。

「時々刻々の法施祈念、―の事どもなり/平家 1」

(3)あまりひどくて言葉も出ないほどであること。とんでもないこと。もってのほか goo辞書

一番なじみがある用法というか、(3)しか知らなかったんですけど、(2)って正反対の意味じゃん。というようなこともあります。言語感覚が違いは楽しいねって言う前にいろいろ調べるのも楽しいですよ。