サラミス “ネタばれあるでしょうからお気を付けください”の号


勘の鋭いお方ならばもうお気づきかと思いますが今日は何の日?サラミスの日です。はい。読み終わりました。

サラミス

サラミス



クセルクセス大王率いるペルシア軍の侵略に対するギリシア同盟の防衛戦、その中のサラミス海戦(後から振り返ればこれが天王山となった)を描いた作品。

サラミス海戦を描いたとはいうものの本書はギリシア同盟国の指導者たちの会議、つまるところポリス間の外交戦についてその頁のかなりの量を割いている。会議の参加者たちは大きく分けて3つのグループに分かれていて2つの選択肢のうち1つを選ぶために狭い海峡をはさんでペルシア軍と対峙するという緊張の中、延々と行われる。3つのグループというのは既にペルシアの占領下にある国々(アテナイ)、すぐにも侵略を受けそうな危機に直面している国々(メガラ)、そして地峡より西に位置するペロポネソス半島の国々(コリントス)の3つ。2つの選択肢とは現在サラミスにいるギリシア海軍を地峡へと移動させ地上軍と一体となってペルシアを迎え撃つというものと、このままサラミス周辺の海域で海戦に撃って出るという2つ。それぞれのポリスがそれぞれの思惑を持っているがそれらは必ずしも一致せず、かといって分裂していては勝てる見込みがないために熾烈な駆け引きが行われる。


会議で交わされる会話がとても面白い。ギリシア人と一口にいっても色々とあるらしいがなかでももっとも饒舌なのがアテナイの指導者テミストクレス。彼の饒舌がギリシア人ということに因るのかアテナイ人ということに因るのかはたまた政治家という人種に因るのかは判らないが聞いていて(読んでいてなのだが)非常に面白い。対立するもの同士の当てこすりや嫌味はもちろん対立もしていないのに飛び交う当てこすりや嫌味。もっとも会話の楽しさといえば会議だけでなく兵士同士あるいは指揮官と兵士あるいは指揮官と下男や教師、占い師らの間に交わされるあらゆる会話が面白い。


しかしいくら彼らの会話が面白いとはいえ描かれるのは戦争であるし、スリルを感じる場面も海戦そのもの以外にもいくつかある。実を言えば(←亭主風)戦だけでなく外交戦においてもかなりどきどきする場面があった。が、再度しかし。そういった場面でさえユーモアが滲んでいる。ユーモアとスリルあるいはユーモアとシリアス。一見両立しないものがちゃんと両立していて、こんなところにまでオチをつけなくてもと思うようなところにも笑いがあり、しかもやり過ぎにはなっていない。絶妙なバランス。


人間にかかわる全ての事物には滑稽さが潜んでいる(どんな悲劇もその骨格だけを取り出せば笑ってしまうこともあるし)というのもこのようなすばらしいバランスを持つ文章を支える事実かもしれないが、しかし。やはりこの笑いは計算されたものであって著者の業の成果であってついつい乗せられて笑ってしまってしかも笑った自分を不愉快に思うことがなかったという読者は拍手!!!しなければいかん。泣かせることにくらぶれば。ただでさえ心地よい笑いは難しいのに、基本シリアスな戦記でそのシリアスな部分―兵士の悲しさや亡国の哀しさ―を損なわないのは凄い。


この戦場(というかこの)作品には尊大な者、卑小な者、富める者、貧しき者、貴人、奴隷、勝者に敗者、さらには妬み、寛容、憎しみ、愛、緊張、笑い、哀しさ、喜び・・・人間にまつわる多くのものが詰まっている。そんなにはないだろうと思われるかもしれないが、名も与えられていない人々の短い描写に埋め込まれている。再び書きますが。絶妙のバランス。


話の進め方もとてもうまいというかなんだこれは。殆ど映画を見ているような感覚であってどこにこれだけの情報が入っているのかと読んだくせにびっくりしたりする。よくある小説には必須というか殆ど骨であるところの感情等の描写は大蟻食閣下ではないが省かれている。その代わり、それらは淡々と描かれる動きや言葉(←これも感情そのものではない)或いは視点の移動などで読むものの内から湧き出すように仕組まれている(はず)。無声映画みたいなものか。


確かに小説を読むと読者はその場面を思い浮かべるのだが、ここまで映像的なものはあまり記憶にない。まったくなかったというわけではないけど思い出せない。映画のようにカメラがある人物を追うことで視点を別の舞台へと導いたり、寄ったり離れたり自由自在。長回しもあればカットバックもあるといった感じがする。感じがするというのは作る側の視点はまた今度読むときに意識することにして今回は物語にどっぷりだったので具体的には思い出せないから。地中海の青い海、青い空、白い雲、青・赤・黒の外套に黄金色の鎧と色味もばっちり。今回豊崎さんの3Dだのディープな視覚小説だのといった評あるいは惹句はわりあいというかかなり評判が悪かったし僕もなにもカバーに印刷しなくてもと思っていたけれど視覚小説というのはよーっく判った気がする(やっぱ豊崎やるじゃんというかごめんなさい読みもしないで適当なこと思ってって思っただけだから良いですね。でもやっぱカバーに印刷はいや)。


ペルシア側の宦官の手紙もペルシア側の説明になるし(海峡埋め立てのところは巧すぎ)いい場面転換になっていた。ホンの数回の登場回数だったが最後まで読めばあの人物その人も味のある深みのある役だった(決してフォントがでかいせいではない)。クセルクセス大王も面白い。一方ギリシアのほうはメインだけあって色々とオモシロイのが多かった(イチイチ書かないけど)。カロンとバットス、トリュガイオスが好き。以外や以外、最後の最後にダークホース登場。エウリュビアデスがいい。ここのところはスパルタ人はこうだ、アテナイ人はこうだ、コリントス人は・・・という今で言えば人種差別系のジョークになりそうなステレオタイプというのを知っていればもっとうけたのかも知れない(あればの話だが)。まぁもっともほんとのダークホースはこれまたほんとの最後にご登場の亭主閣下その人だったりするのだけど。


とまぁ長々と取り留めのないことを締りのない文章で垂れ流してきましたが(赦して)。じつはこの本で一番凄いと思ったのはそんな私とは対照的なその文章。非常に平易な言葉で綴られていて読みやすい。白状すると(←亭主風)鯨波*1だけはその意味が判らなかった。でもそんくらい。長すぎない文章だし、リズムをもって読めるし、全体の流れというかテンポも良くてこれはひょっとしたらとんでもなくできのいい作品ではなかろうか。などと思う。比較するというのはなんだか下品なんだが、『熱帯』よりぐっと良い。あ、わし『熱帯』も好きなんですが(哲学等の教養があればもっと面白かったはずだという指摘は不明の理由により無視される)。もう3度目か4度目かわからんが、バランスがいい。絶妙。撒いた種はちゃんと刈り取られて収穫されていたし(パクリ)言うことありません。えーとあーとこういうのなんていえばいいんだっけ。け。傑作?そうかこれは傑作だ。前編にわたってもちろん後編にもわたってユーモアが流れているのでつまり滂沱の涙とはならないので見過ごしがちになるけれど、こいつぁ傑作といってもいいのではないでしょうか。だめですか。そうですか。そんじゃ僕だけそー思っときます。


端的で無駄のない文章によって読者は手玉に取られてしまう。まぁお釈迦様の手のひらでもてあそばれる孫悟空みたいなものか。
読者はときには透明人間にでもなったかのように天幕の中のテミストクレスのすぐそばに立つことができるし、あるときはハエにでもなったかのように鎧の細部に近付いたりとまったり、はたまた兵士の一人であるかのように三段櫂船の中に潜り込んだり、あるいは海を渡る風のように海面を流れひしめく船の間を潜り抜け海峡を渡り丘を吹き抜けることもできる。自由自在に古代地中海を飛び回り眺めているようでいてじつは著者=監督の思う壺にはまっている。ただし読み終わったあと牛さんのように反芻するときはこっちの自由。好きな場面へ行きつ戻りつ自分の想像力で広げていける。さあこの本をきっかけにヘロドトスでも読もうかと思っていたら・・・・くぅーおちょくられた気分じゃ。くやじぃ〜


次はゲルマーニアとかガリア戦記とかハンニバルのアルプス越えとか思い切って中国ものとか希望いたします。笑い抜きをと思いましたがもはや笑いのない佐藤作品が想像できませんので構いません。思い切りワラかしてください。佐藤哲也さまありがとうございました。おもろかったー。


『トロイ』見ておいてよかった。船とか鎧や盾・剣の雰囲気が予習できます。世界史を知らない人は予習しておくといいと思います(わし日本史だたもんだで)。

*1:げいは:大波、または戦場であげる鬨の声、ふふっ2回あらわれて両義とも使用されていたり