一応読み終わった。


醜聞の作法 (100周年書き下ろし)

醜聞の作法 (100周年書き下ろし)




最近本を読むスピードというのがどんどん落ちてて相当遅かったんだけども、この本はサクサク進むのでブレーキ掛けたくらい。


ということでチビチビ読んだんだけど、途中引っかかったところが何箇所かあったのにそのまま進んだせいですっきりしない。駄目だこれは。


すべてが書簡と醜聞をばらまくためのパンフレット「覚え書き」によって書かれている。「書簡」はぜんぶで18通、タイトルとしては第一信から第十八信まで。これにところどころ「覚え書き」が挟まる。「覚え書き」は全部で3冊。ただし「覚え書き」の中身も書簡で構成されているので、結局のところこの小説はすべて「書簡」によって作られている。


この「ぜんぶ書簡」というスタイルは読む者に構成というか組み立てを意識させる。そう思いつつ読んだのに!のに!まぬけバージョンの侯爵とおなじようにこんがらがってしまった。某氏のおっしゃった「排除された馬鹿」、にあたるのかもしれん。いいんだ。べーつーにー。


この書簡部分の書き手=語り手は「私」(B***と呼ばれた個所も)で、宛先は侯爵夫人になっている。で、ちろちろ読み進めているうちにひょっとしてルフォンなる主人公は存在しないんじゃなかろうか?(ルフォン=「私」が捕まらないための保険)とか、この「私」というのは詐欺師なんじゃなかろうか?(報酬以外にチビチビと必要経費という名の小銭を要求してた)とかいろいろ考えていたんだけど外れた(たぶん)。


上に引っかかったところがあったと書いたけど、いっかいさらっと読んだだけで「え?なにこれ?」と思ったところが一か所。それは「第二の覚え書き」の中にある修道院での出来事が書かれた書簡の中の一節。P110の最後の行、「犬の吠える声が聞こえました。」から始まる段落。ここがとても不自然だったけれど、少し戻って読んでみてもわからなかったのでそのまま読み進めた。


この「」ってのが結局最後まで点々とあらわれてくるんだけども、わかったようでわかってない。すっきりしていない。ルフォンが「覚え書き」に埋め込んだ「仕掛け」だと思うんだけど違うんだろうか。


まあ犬というのが当時道行く馬車のまえを走っていたという記述もあるけれどそれがどこまで一般的な話なのかにも因るかな。


ともかくまだすっきりしていない。なんかパズルが完成していない感じがすごくする。なんだこれは。許せん。


そういうパズル的な話とは別におもしろかったのは。


侯爵と弁護士ルフォンの世界を見る目がぜんぜん違っていたところ。階級ってこういうものなのねと。それはたとえば

――お前は我々のことには、あまり通じておらんようだな。

『醜聞の作法』p176

という侯爵のそのものズバリの言葉だったり、その部屋の天井に描かれた絵に対するルフォン(と私)が感じたものだったり、
「平民の娘を友人の妻にさせるわけはなく、妾にするつもりだった」という侯爵のことばだったり。


この最後の「平民の娘なんだから当然にしかできない」という意識を見せられた時、ハッとしたんだけど、これは私が現代の日本に生きている人間だから感じたものだと最初は思った。しかし先を読んでみるとルフォンだってそこまで意識が回ってなかったんじゃないか、わかっていなかったんじゃないかと思った。侯爵を酷い人間だと思わせるなら自分の養い子を「友人の妻」よりも「友人の妾」にするほうが都合がいいはず。つまりこれがルフォンと侯爵の間にある「越えられない壁」だったと。


そんなこたない、そこまで書いてしまうと回復不可能なレベルまで侯爵が貶められる(民衆から見て)から遠慮した、とも考えられるけど。


でもやっぱあれは階級の越えられない壁の現れだったと思う。そのあとに出てくる「驢馬の頭の被りもの」にまつわるルフォンの言葉もそのあたりを指してるような気がするし、なにより「こんな幸運があと十年も続けば」という最後の一文を読むと間違いないだろうと。


史実だとちょうど10年後にバスティーユが襲われるんだよな。よかったなルフォン。