破戒 島崎藤村

捨てられそうになっていたのでもらいうけて読んだ。


破戒 (岩波文庫)

破戒 (岩波文庫)




わりと読みやすい文章だったんだけど、慣れないうちにところどころで引っかかったのは、終わり方が妙な文章がときどき出てきたせいで。


ちょう有名な小説ではあるけど読んだのは初めて。主人公は穢多(新平民と呼ばれているが、呼ばれているだけで内実は変わっていない)であることを隠しつつ暮らしてきた小学校(?よくわからなかった)の教師、瀬川丑松という青年で、彼が周囲のさまざまな人間たちの影響を受け、悩みながら父の「(穢多であることを)隠せ」という戒めを破るに至るまでのお話。


小説自体は特にどうということはなかった。情景の描写はたしかにうまいと思うけれど、同じパターンを繰り返しているだけだし、丑松が猪子蓮太郎という先輩(彼も元教師で、「我は穢多なり」と宣言し差別と闘っている思想家)に自分も穢多であると告白しようとするところも先は見えるし、ちょっと単調に感じた(とはいえ蓮太郎の最期がああなるとは思ってなかったけど。というか高柳が頭悪すぎるでしょ、あれ)。


でもまあ信州の田舎の様子の描写もいいし、志保の一家の話も面白いし、単純だけどけっこういい出来かもしれない。


ちょっと不思議なのは志保の父・風間敬之進がどうみてもただのダメダメおやじなんだけど丑松は同情しても批判はしないところ(「隠せ」と教えてきた父親だけど丑松の父親はけっこう感じが良い。敬之進はほんとうにダメおやじ。)。あと志保の弟で自分が受け持っている高等4年の省吾の年がわからない。十五ばかりの少年、とあるんだけど十五にしては幼い。高等4年が何歳なのかだれか教えてください。


で、丑松論争とかいう話は聞いていたんだけどとくにおかしいところがあるとは思えなかった。最後に丑松が教壇で教え子たちにむかって告白し、頭を下げ、その後も同僚たちに向かって頭を下げて謝罪するところが問題とされてるのかなと思う(解説が野間宏で、そういったことを書いてる)けれど、あれはなんというか差別問題の根深さと見ることもできるのでわたしは気にならない。たしかになんで戦わないんだよ!という気持ちも湧くけれど、それは今私が思うだけであって、丑松自身はああいう風でも不思議ではないと思う。


ただ、丑松の生きた時代に、実際どのようであったかがわからないので、ひょっとしたらその当時であってもあの態度は古臭いダメな見本のようなものかもしれないので、ちょっと調べてみたい気持ちも出てきた。でもあの野間宏の解説は部落差別の話であって小説の解説ではない。おかしい。


そういう問題とは別に、最後のテキサスはちょっとね、とも思う。小説としてあれは単にへたっぴでしょと。最後の最後までいちども登場しなかった、匂わせることすらしなかった飛び道具みたいな感じだし。

あと慕ってくれている子どもたちを置いていくのはどうなのよ、とも。でもまあ種はまかれたというか、告白の刺激によって子どもたちのなかになにかを発芽させたかもしれないと思うとまあいいや、とも思うけど。

ま、ちょっと自分なりになんか読んでみる。