金毘羅

よーやっと読み終わりました。


金毘羅 (河出文庫)

金毘羅 (河出文庫)




面白かった。ん。ただこの面白さはなんというか初めて感じる面白さなので、どういえばいいのかよくわからない。でも面白い。


正直『母の発達』も面白かったけれど、言葉の面白さというのかな、それくらいであって、特に女性からよく聞いたすっきりしたーといった感じはまったく受けなかった。


メモとしても使えるな、ついった。でも探すのがめんどくさいわ。

『金毘羅』読んでると「捨てる神あれば拾う神あり」の意味が逆に見えてくるなぁ。ひとのほうが神さん拾ったり捨てたりするイメージが湧いてくる…

こっちはわりとどうでもいい。問題はこっち。

“つまりもし自分が妄想の中で金毘羅である事にある日、飽き足らなくなったら、(以下略)”

『金毘羅』227ページ




『母の発達』は、語り手の妄想だろ、とか思いながら最後まで読んだ。『金毘羅』のほうも最初は妄想だろ、と思っていたんだけど読み進めるうちになんか妄想ではなくって、ひょっとしてこういう世界もあるんではないの?という感じになってくる。こういう世界、は言い過ぎか。こういう世界の見方もあるんではないか?という感じ。


にも関わらず、上に引用したところ。語り手が自分で「妄想」って言っちゃってる。これ読んだ時にはほんとにえっ?って声に出たもの。

でもそのあとは何事もなかったかのようにそれまでと同じ調子で続いていくので、またこういう世界の見方もあるんでは?な感覚に戻ってしまうのね、読んでいるほうとしては。世界を見る目がどんどん笙野的なというか金毘羅的なそれに影響されていくというか浸食されていく感じ。あと、ほかのところでも数か所「妄想」っていうことばが出てくる。


語り手が自分で「妄想」って言及した『金毘羅』のほうが妄想的ではなくて、一度も「妄想」って出てこなかった(たぶん)『母の発達』のほうが妄想的という変な逆転現象。


あと金毘羅の描写がとても面白い。蛇とか鰐とか龍とか翼とかそういうの。金毘羅が金毘羅を喰うとか。妄想がどどどどーっと怒涛。あーれーと押し流されるわし。なんか気持ちよいのね。楽しかった。宮崎駿に絵にしてもらいたい。


むかつく母はスクナヒコナの茹でてくれた半熟卵をちゅるちゅると吸いながらこう考えていた。

『金毘羅』298ページ

ここでいう母は金毘羅母であります。それがスクナヒコナの茹でた卵をちゅるちゅるですよ!


後半というか終盤はもうどんどんおかしくなってくる。ほとんど破綻しているんではないかというくらい語りがおかしくなってくる。人間の一家としてハイキングした昔話も、観光地にあるコインを入れて見る望遠鏡のあたり、そうとうキテいる。イメージも場所も時間もどんどん飛んで移っていく。


この辺はほとんど『気狂いピエロ』みたいな。ただあれよりずっと上手。


なんかおかしい。これって論理的に構成されているとはとても思えないんだけどどうなんだろ。すっごい不思議なものを見た。読んだ。