ミカイールの階梯

ようやっと読み終わりました。ふえええ。どんだけ遅いのかと。





いや、つまらないから遅いんじゃないんですよ、これが。はっきり言ってかなり面白かった。面白いというか沁みた。これまで読んだなかで一番好きかも知れない。


にもかかわらずこれですよ。本を読めなくなってる。脳がどうこうというよりもっとなんかこう、脳髄?小脳?その辺が逝かれてるんじゃないかなぁ、くらいしんどい。


ま、そんなこたぁほっといて。


本はとても面白かった。小説の舞台が、『グアルディア』

グアルディア (SFシリーズ・Jコレクション)

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の南米から、『ラ・イストリア』

ラ・イストリア (ハヤカワ文庫JA)

ラ・イストリア (ハヤカワ文庫JA)

の北米ときて、今回『ミカイールの階梯』でいきなり中央アジア+ロシアに移ったんだけど、これが効いてる。


イストリアシリーズはなんというかこう、世界そのものを描くことが主たる狙いのような、そんな小説だと感じているんだけど、今回もまたそういう小説として読んだ。


ということで。中央アジアはもちろん(!)よく知らないんだけど、ロシアにしても実はあんまり知らなかったということが自覚されました。それぞれの風俗、というのかな?服装とかそういうの(ネットがあってほんとよかったよ。ルバシカとか言われても分からんし、とはいっても昔だったら調べないままテキトーなのを想像して終わらせてたはずだし)。民族的にも色々混じっている感じで、顔かたちはもちろん、文化的にも宗教的にも色々あって面白い。


この『ミカイールの階梯』では、前2作に比べて登場人物が多かったように思う。割合丁寧に細かく描かれた主要な登場人物という意味で。


ただやっぱりこの人物が主役なんだ!という人物はいないように思った。話のスタートあたりではレズヴァーンであるような気もするけれど、中盤以降はほかの人物もかなりの分量が割り当てられているし、やっぱりこれという主役は見当たらない。多くの人物について等しく書き込まれることで、同じ“世界を描く”という主題を持っている(ように、私が、読んだわけですが)前2作にくらべて、広がりを感じた。いくつものカメラが偏ることなく、いくつもの場所・人物を撮って、それを上手く組み上げた結果、作中セルゲイが

人間、いや生物は初めて自らの意志によって進化(エヴォリューチア)の階梯を登ろうとしているのでしょう?

『ミカイールの階梯(下)』p306

と言った、その瞬間の前後の世界、時代の変わり目の動きが上手く描かれているように感じた。


と、あとだしじゃんけんみたいだけども、作者あとがきを読んだからこんな風に書いたわけではありません。ほんま、そんな感じで読んだので。ま、お釈迦様の手のひらで踊らされた猿のような読者だったということで。楽しかったからいいんだけども。いいっていうか幸せです。


ひょっとして初めてのハッピーエンドかな?


そうそう。あと、思わずついったんだけども、最後の最後でやられてしまいました。


なにがってね。『ミカイールの階梯』を読んでいて、ずーっと気になっていたのが、いったいこれは誰が書き記しているのだろうか?という点で、前二作とは少し違うんじゃなかろうかと思っていた。


なんというか、書き手が登場人物の内面というか感情について、地の文で触れているところが、これまでの作品とちと違うようなそんな気がしていた(読み返してないからはっきりしないけど)。前作には、書き手のさらに上位にいるらしい人物というか神さまのような存在が挿入したらしい部分があった。今回はそれがないためか、書き手の人間臭さを強く感じた。


じゃ誰なんだと。途中までは、これは作中で、疫病の王の物語を世間に流布するホマーユニーの楽団のような、後世、この時代を振り返って歌った琵琶法師のような、そういうものを想像していた(もちろん歌だと読みづらいから、そのままではなくて、こういう書き方になっているのだと)。


で、読み進めるうちに、一番興味を持ってキャラが立っているなぁと(特に教主だと名乗り出たあたり)感じていたユスフ・マナシーについての記述だけが、薄いということに気が付いて、ひょっとしてこれはユスフが書き記したもので、だから自身のことについては、背景にしても感情についても描写が極端にすくない(というか無いね、感情については)んじゃないかと思っていた。


したら、ああた。最後、セルゲイが語りそれにユスフが答える場面。

「えやみの王に導かれる進化にせよ、旧時代の遺伝子改造にせよ、人間には選択権ができたというだけです。形質の変革そのものをもたらすのは人間の意志の力じゃない。塩基という物質に還元できる遺伝形質に限ったことではなくて、なんというか人にはそれぞれの器というか役割のようなものが予め定められているのではないかという気がしてきますよ。卑小な悩みにばかり囚われている自分を顧みると」

「そういう場合はな、語り手になればよいのだよ」

『ミカイールの階梯』p307

(強調は私によるもの)


どきっとしたよ、全く。自分がずっと考えていたことに出会い頭で衝突したというかなんというか。それ以外にも作品とは無関係に、このフレーズ単体に対しても、なんだか感じるものがあったし。


で、誰なんだと。ストレートにセルゲイなのかもしれない。でもそれにしちゃ自身について赤裸々すぎるしなぁ。ユスフではなさそうだけど。


この作品(というかシリーズ)で、ユスフ以上に触れられることがない存在がまだひとつある。それは消えた管理者たち。どうなのかなぁ。


他の人の乾燥や評、仁木さんご本人による設定解説など一切読んでないので、これからちびちびと読んでいきます。どうなのかなぁ。


ともかく、一番好きですね、シリーズ中で。