長いんだよ、みんな。ほんと。

ということで、昨日寝てしまいましたが今日はちゃんと読みました。といっても二つだけですが。ではさっそく整理してみましょう。ほんとはいろいろ引用しながら、と思っていたんだけども、いちいちもっともな感じで抜きだすのが難しいので思い切って縮めてみた。

地を這う難破船 「差別的であることは銀の弾丸ではない」の私的まとめ

大前提として

  • 市民社会の構成員(市民)は差別を撤廃するべく行動しなければならない

差別と表象規制について

  • 差別撤廃という人権問題の解決には、「差別的表象の差別性」および「差別そのものの悪」について社会的な文脈の形成という方法を用いるべきである
  • ヘイトスピーチに対しても同じ方法を採るべきである
  • 差別的表象が差別の再生産、強化に寄与することはあるだろうが、それでも解決には社会的文脈形成によって為されるべきである
  • 社会的な文脈の構築・合意形成のために「表象規制」という方法は採らない
  • この避けるべき規制には法規制はもちろん自主規制も含まれる

自主規制がなぜいけないのか、そのあたりがまだ私にはすっきりしてない。

「差別的表象の差別性」および「差別そのものの悪」について社会的な文脈の形成

これに尽きるようです。


地を這う難破船 「表象は読み解かれなければならない」の私的まとめ

地下生活者の手遊び(tikani_nemuru_Mさん)とのやり取りなんだけど、そっちは殆ど未読。それでも一応。


  • 「構造的な人権侵害の存在」と「社会意識のメッセージとしての表象」を安易に紐付けすることはよくない
  • これを裏返し、「構造的な人権侵害が撤廃された社会の意識」は「言論や表現とその流通のありかたをメッセージとして表象される」としたのがスターリン

これによってソ連では当局推奨の差別のない社会意識の表彰を強要され、逆に現存するはずの構造的人権侵害や差別が隠蔽されることになった、ということなんだろうか。「痴漢強姦堕胎」エロゲが堂々と一般に流通しているという状況がある種のメッセージにはなるだろうし、それを規制することもまたメッセージになるだろうが、そういうのも良くないってことなんだろう。あと批判を受けたことによる自主規制というのも社会的な文脈形成の一つだと思うのだけど。飲酒運転の厳罰化や刃物所持の規制なんてのも社会意識の反映だろうと思うし、それでいいじゃんと。

  • 「構造的差別を前提にした人権侵害の娯楽的消費」について言えば、問題は娯楽か否かではない
  • 流通に関してはゾーニングという暫定的な結論が出ている

ドイツの扇動法も暫定的な解ということだろうか。ゾーニングは半地下見たいなものだし、実質規制だけどなぁ。

  • (性器ではなく)“触手”といった(グレーな)表現の場合、規制はどうするのか

ここは私の理解が違うかも。

  • 「社会意識は言論や表現とその流通のありかたをメッセージとして表象される」ではなく、「社会意識は言論や表現とその流通のあり方をメッセージとした表象に対する読解の文脈として反映される」と考える
  • 差別に対する社会的文脈の形成は読解の多様性を基礎とする

意外だったのは、批判を続けることよりも読解の多様性だ、という点。言論による批判というのは上からの規制ではなく下からの社会的文脈形成のひとつじゃないのか?と。それも読解の多様性の中の一つに含まれているのではないかと。まあ「痴漢強姦堕胎」エロゲにそれほど読解の多様性があるとは思えないけど。これは別にポルノだから、エロゲだから読解の多様性がないのではなく、その程度のものだからじゃないのか。


もちろんポルノだろうが芸術だろうがその評価は人それぞれだけど、あからさまに差別を煽るようなもの(これがヘイトスピーチ?)についてどう対処するのか。リテラシーの涵養の問題だというけれど、それで実効性があればいいが、無ければただの筋論だろうと思う。


逆に、法規制が掛かったとしてもくだらない、実効性のないもの、たとえば刃物規制なんかは意味がないと思うけど、そういうものは消えるだろうし、一度エロゲにかけても構わないと思う。やってみりゃいい。マスメディアの差別表現の自主規制の結果、逆に2ちゃんなどで差別表現が溢れ返ったという話があったけれど、地下がエロゲで溢れ返ってみればいい。スターリン理論という話も、そりゃわかりますが、エロゲにかけたからずるずるとほかの分野へ延焼するとは思っていません。市民はそこまでバカじゃなかろう。もしそこまでバカなら対差別の社会的文脈形成や読解の多様性なんてそもそも期待するほうが無理だろうと思う。


線引きをどこでするのか?というのは血中アルコール濃度のような科学的な数値でない限り、問題になるけれどいつだってやってるわけですよそういうの。猥褻の基準とか。あれも時代によって変わってるし。


ま、くだらないな、やっぱ。猥褻とか、ああいうのも。やっぱり引っかかっているのは切実度か。ああいう気持ち悪いものが身の危険を感じるさせるようなものが堂々と表をうろついているってところが。線を引けないから放置ってのはやだな。というかタバコや酒を20歳で線引きしてるのも明確な理由があるわけじゃないしな。んー。リテラシーね。んー。崩壊してきた。


ああ、そうか。線引きの問題ではないのか?ゾーニングは暫定解だということだった。ドイツの扇動法についても緊急避難的だという理解をされていたはず。


暫定的・緊急避難的な対応を認めているなら、なぜそれを今回の「痴漢強姦堕胎」エロゲに適用しないのか。あるいはするのか。その線引きはどこ?ドイツの場合については

我が闘争』が日本で普通に発売されているのは、その読解の文脈がドイツならびに欧州のようには限定されていないからです。欧州はその不幸な歴史ゆえに『我が闘争』読解の文脈が限定されている。きわめて政治的な書物がその震源地において読解の文脈が限定されることは致し方ないことで、日本も例外ではない。




とある。ゾーニングについては見当たらない。あ。政治なら地域が限定されるかもしれないけど、男と女、性別は遍在しているな。どこでも切実な切迫した状況があるなら、暫定解を適用してもいいんじゃないのかな。ただその切実度は日本の男には分かりにくいものだろうと思うけど。外国はしらん。


ま、そんな重いこと考えなくても猥褻物のウネウネっぷり右往左往っぷりを「痴漢強姦堕胎」エロゲでやってもいいのでは?暫定を延々続けていくのだ。あれだって結局いくつもの勢力(読解勢力)のせめぎ合いでしかないところは同じだし。悪質度が高いと多くの人が考えるならやってみる価値はあると思うけど。筋論にそって真面目にこつこつやってきた人もいるはずだけど、よくなったの?大蟻食先生はたしかずっと見てきたけど変わってないと書いていたな。

私は物心ついてこの方、性別からして当然だが、女性に対する暴力的な性表現に関する議論が何らかの良い結果を生むのを待っていたが、三十余年を経た今でも、事態は何一つ変っていない。




頭疲れた。続きはまたこんどにしよ。