大蟻食、えーと、んーと、そのぉ・・・

と、行きたいところであるが、なんとか絞り出そう、『大蟻食、快刀を振るう』


ふう。久しぶりにガツンと来た日記。


小説が作家にしかわからないとはわたしは思わないが、仲俣氏にわからないことだけは確信できる。

(強調は私:丁寧なんだな、こういうエチケットシート。本気ってこった)



これが最後の一文だが、そこに至るまでの流れるような連続攻撃、ちがった、理詰めの展開(畳み込みか)によって逃走経路は完全に塞がれているところに、これ。袋小路に追い込んでおいてバレットの乱れ撃ち(ひゃっほうー最高!)。完全にトドメである。これ以上ないほど見事にぶっ刺されている。ドラキュラの胸に刺さったぶっとい杭のよう。仲俣さん、南無(−人−)…


ぷりさんなどは評論家なんて図太いんだから大ジョブだろう、と言っていたけれど、僕はここから復活する目がないわけではないだろうが、かなり厳しい道のりとなるはずだと思う。もうチョモランマ無酸素単独登頂くらいのつもりで行かないとダメな気がする。


評論家と小説家の幸せな関係、すなわち

評論と実作の間の良きフィードバック

を実現しようとするならば、評論家は実作者以上のプロフェッショナルな読み手でなければならない。基本的に小説家以上に古今東西の小説(その他の教養も?)に通じていなければならないのだろうが、大蟻食先生はいまだに通常人でいうところの活字中毒並みにたくさん読んでおられるのでなかなか難しい。量だけでなく、“読みの質”においても超えるのは難しそうだし(わしにはわからんが)。


で、本日私はこれ





SFマガジン5月臨時増刊号』を買ってきた。SFって「STRANGE FICTION」の略なのね。すこしふしぎ、みたいなもんだな。


で、そもそもの目的である大蟻食先生・アルマジロ先生ご夫妻の短編を読む前に作家紹介の大蟻食先生のところを読んだ。マジで書いてあったよ、

女だてらに戦争オタクっぽいよことは、若手作家では有川浩に近いかもしれない。

SFマガジン5月臨時増刊号』 p231




“女だてら”ってのは大蟻食先生が意訳された言葉かと思っていたけどまんま書いてあって吹いた。しかも、

普遍的エンタテインメントを志向している

とか

俗流メロドラマっぽい物語展開などの特徴

とか刺激的な表現が並んでるよ!とはいえ、『戦争の法』における本歌取りの元ネタが分かっていない私が強く突っ込めるところではないかも(あれかな伍長兄弟と従妹の関係かな)。


個人的には

『天使』『雲雀』を経て、(中略)ミノタウロス』で完全復活した

(強調は私)


というところが『天使』『雲雀』コンボ好きとしては許せん。あれは不完全だというのかっオノレ!そこへナオレ!ってもう死んでるか・・・


ふう。仲俣さんは最後には「傑作」などと書いてるし、基本これまでも佐藤亜紀作品を好意的に扱っているようなので、これはギャグ(先生ネタのギャグ、ということならわたくしが見本をお見せしようではないか。怖いけど。明後日あたり・・・)ではなくて素なんだろう。ゆえに根が深いというか救い難い、ということなのかもしれない。ふう。トヨザキ社長にしときゃあいいのに。


あれかね。ブクマにあったように筒井御大と渡辺某のようなことになるのだろうか。私はあれが書籍として刊行されていることに驚き、言論の世界っていいなぁとか思ってたので、反論あるいは反省・猛省からの再スタートというものを見てみたいとか少し思ってる。ま、大蟻食先生はもう相手になさらんだろうが。


で、党員のどなたか、今度先生に「日本文学ってどうですか?」って聞いてみてください。貴方の死は、この私がケッして無駄にしません。その決定的瞬間を撮影します。これが撮れればベロ出しアインシュタインに並ぶ決定的瞬間写真となるでしょう。