夜は短し歩けよ乙女
この本については先日書いたけれども、漏れがあったのでここに書いとく。
森見登美彦氏の小説はどれもスイスイと泳ぐ河童のように読める。!気がついた。これはほとんどラノベではないか!と。
しかし何かが違う。維新を読んだだけだが(だけ、とは言うけれど、講談社文庫を見よ。きっちりと揃えられたデザインを西尾本だけが特別扱いされているではないか)、あれをラノベとするならばモリミーはどう考えてもラノベとは違う。何が違うのだろう。
などと。おおげさに。書いてみたけど。
答えは簡単だ。登美彦氏の文体はいちぶんいちぶん考え抜かれている。おかしな日本語(少なくとも私が気がつくようなもの)は一切ないないしリズムもいい。そして、実は、構成も西尾とは比較にならんほど考えられている。
要するに登美彦氏の産みだしたお子たちは皆、その読みやすさおよび内容の軽さとは裏腹に、とっても手が掛かったちゃんとしたお料理なのだった。
一方
そのころ、
西尾は、
ま、その、
思いつき、
そのまま生で出してます、
みたいな?
しかし、登美彦氏の小説の読みやすさを無視するわけにはいかない。やはりここはライトノベルと呼んでいいかと思う。
ただし。
絶対にラ・ノ・ベなどと略してはならない!なむなむ!
少々むさくるしく、うっすらと男汁も混じっているとはいえ、コネコネと丁寧にコネあげて拵えられた立派な軽さ。略してはいけません。
逆に、生のまま勢いだけで、こういう食材好きな人だけ読んでればいいよ、みたいなのはラノベでよい。ライトノベルと開くべからず。
軽いってのは悪くない。重さが売りらしいひとが直木賞をとったらしいが、そんなもん写真やビデオ、ニュースをじぃと見ていれば十分だろうと思う。あんなしんどいもん読む余裕があるんだし、できるでしょ、普通に。
以上、書くことがないので屁理屈こねてみました。
あ!もういっこ。なぜ登美彦氏の小説には京都弁、あるいは関西弁が出てきいひんのやろ。ちょろっと語尾がそれっぽいのは時々あるけど、あそこまで出てこないのはヘンである。まさか、品位を落とすなどと思っているのではなかろうな。あ、どんな人にとっても読みやすい、というのがほんとの狙いだろうけど。