大蟻食、感謝感激す…



弔問の方々の言葉からは、引退後もご近所の人々から愛されていたことがうかがわれた。まあ一言で言うなら、そういうことであった――結局父は、生前面識のあった様々な方面の様々な方々からそれぞれに愛されていたのだ。生前、というか私がまだ小学校の頃、もう少し愛されるパパぶりを見せたらどうだと言った私に向かって「愛されるのがいいか怖れられるのがいいかと言ったら、怖れられる方がいいに決まっている。人間、愛する相手のことは舐めるが、怖れる相手のことは舐めないからだ」と嘯いた父が(パパ、それはマキャベリの半分だって、と、一日後には気付いたが)、結果的には人が大好きであり、人と交わることに生きる喜びを感じる人で、最後まで人との関係に支えられながら世を去ったことを、私は喜びたいと思う。




切りどころがないので引用が長くなりました。パパなのかと一瞬頭をよぎりましたが、それ以外は概ねじんわりと来る文章でした(ほんの少しですが、なまの先生のことを存じ上げている所為かもしれません)。


似たような、というのはもちろんこの日記の記述からのみ想像した結果ですが、似たような葬儀を見たことがありました。滅多にいないタイプの方だったのではないかと思います。その似たような方の場合は抜けた穴を埋められる人が居なかったため、ずいぶんと規模が縮小しました(商売だけでなく)。もう10年くらいは経ちますが、今だに○○さんが生きたはったらなぁという言葉が時折聞かれます。


勝手にその人に重ねて。見た目丸くて、明るくて、おしゃべりで(しかもうるさいのではなくて、話上手)、人好きのするおじさんから、いつだったか、どこだったか忘れてしまったけれど大蟻食先生が書かれていた「お父さんのアフリカでの凄い話」というのを直接ご本人から聞くことができたなら、それはもうとんでもなく面白かったんじゃないかと思いました。



マキャベリ、調べました。たぶんこれ。


わたしは、愛されるよりも怖れられるほうが、君主にとって安全な選択であると言いたい。
なぜなら、人間には、怖れている者よりも愛している者のほうを容赦なく傷つけるという性向があるからだ。




最後に。普段どんなに元気な人でも、忙しく、気が張っている間は大丈夫でも、少し落ち着いたところでガクっとくることがあります。身体の調子には十分お気を付けください。