天狗道にも三熱の苦悩
美女の気を惹かんと、これを読んだ。
- 作者: 泉鏡花
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/08/01
- メディア: 文庫
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泉鏡花を読んだのはたぶん初めて。初めてだからということで読みづらいわけではない。読みづらいのは古い言葉づかいの所為もあるだろうが、なにより奇妙な尻切れの文章に因るところが大きかろう。
この尻切れ文、自分でもよくやっていたので読んで恥ずかしくなったり。
私の場合は最後まできっちり書くのが面倒なので、ここらへんで切っても言いたいことはわかるでしょ?という丸投げなのであるが、泉ちゃんの場合はちゃんとした理由があるのにちがいなく。
私のように読んだことがないなどという人は珍しかろうと思うけれど、この尻切れ文、たとえばどのようなものかというと。
快く頷いて、北陸地方を行脚の節はいつでも杖を休める香取屋(かとりや)というのがある、旧(もと)は一軒の旅店であったが、一人女(ひとりむすめ)の評判なのがなくなってからは看板を外(はず)した、けれども昔から懇意(こんい)な者は断らず泊めて、老人(としより)夫婦が内端(うちわ)に世話をしてくれる、宜しくばそれへ、その代といいかけて、折を下に置いて、
(ご馳走は人参と干瓢ばかりじゃ。)
とからからと笑った、慎み深そうな打見(うちみ)よりは気の軽い。
(強調は引用者)
とか、
床にも座敷にも飾りといっては無いが、柱立の見事な、畳の堅い、炉の大いなる、自在鍵の鯉は鱗が黄金造であるかと思わるる艶を持った、素ばらしい竈(へッつい)を二ツ並べて一斗飯は焚けそうな目覚しい釜の懸った古家で。
(強調は引用者)
とか。体言止めでもないし(というかこれしか知らないの、○○止め)。
音読とまで行かなくても、つづけてさらさらと読んでいたなら、五七五とは違った、ある種のリズムに乗っていたんだろうと思うのだけど、いつも通り電車の中でちびちびと読んでいたので。
そういう音・リズム以外で面白かったのは巨大な山蛭がぼったぼったと落ちてくるところだったので。そこで思い出したのが偶然最近読みなおしたばかりのこれだったの。
風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」
- 作者: 宮崎駿
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2003/10/31
- メディア: コミック
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宮崎駿はきっとこの『高野聖』を読んでいる。いや、民族学というのか民話でよくあるパターンなのかもしれない、とは思うけど、それでも言おう。
と。
そんでこの『ナウシカ』を読んでいて思ったことも言ってしまおう。
『べルセルク』には『ナウシカ』の成分が30%くらい含まれている
似ていると感じたポイントの多くはすでに忘れてしまったが、霊体のような状態でナウシカに近づいた皇弟をチククという男の子が吹き矢で攻撃すると、遠く離れた本体が実際にダメージを受けるところは霧となった使徒ガニシュカのエピソードと同じだし(よくあるけどさ)、メーヴェに乗ったナウシカのイメージはミッドランドだけでなく、広く法王庁教圏の人々の夢に現れた白き鷹=救世主としてのグリフィスに酷似しているし(と思った)、人造生物で不死のヒドラは妖魔兵や妖獣兵だし。
腐海のイメージと蝕のイメージも似ている。違うな、蝕ではない。グリフィスが転生するときに深い海のようなところを沈んでいく場面で、グリフィスと入れ違いに泡と一緒に無数のベヘリットが浮き上がってくる、あそこ。ベヘリットは持ち主の深い絶望によって初めて機能することができる。無数の絶望が救世主グリフィスを生み出すという引っくり返った感じが瘴気を吹きだしつつも実は世界を浄化している腐海のイメージと重なる。
ちゃんと読めばもっといろいろあるような気がするな、この組み合わせは。