レニ

昨日の続きを見た。


前半とくらべ後半はかなり苦しい。オリンピックの記録映画のあとに当然避けることができない強制収容所の話が出てきた。解放された直後の写真や動画が挿入される。


もうレニが何を言っても、どんなに素直な表情で率直に語ったとしても、どうにもならない。レニは知らなかったという。本当のところはわからない。


ただし、戦後逮捕されてから数週間にわたり行われた非ナチ審査ではナチを支持したことはなく政治活動も行ってはいないということで“同調者”として処理、刑罰は受けていない。しかし。


水晶の夜の報道をアメリカで聞いたレニは事実を知らないのに、アメリカは反ナチであるから嘘を報道しているに違いないと思いこみ、アメリカのマスコミに対して「ドイツではそのようなことはあり得ない」と答えている。さらにドイツ軍のパリ入城に際し、レニはヒトラーに対して、ちょっと驚くような熱烈といってもいいような祝電を打っている(レニは、これは戦争が終わったことに対するよろこび故のことだったと言う)。また、ベルリンからのがれてチロル地方の牧歌的な農家を拠点に作っていた映画には強制収容所から連れてこられたジプシーがエキストラとして登場している。それでも知らないという彼女を信じられるだろうか。ここが活字でないところの難しさ。映像の影響力の強さというところか。彼女の表情や口調から受ける印象は、ほんとうに知らなかったかもしれないというもの。


これは私の想像だけど、彼女はなにか良からぬ空気を感じた時点で、近づかないようなふるまいをしていたのかもしれない。詳細は知らないけれど、エキストラなんとか調達してよ、という風に。もしそうだとして、それは「知らなかった」ということになるんだろうか。


もちろん、本当に、まったく知らなかったとしても、収容所(の映像)以降のレニは、何をやっていても何を言っていても、見ているこちらはブルドーザーで処理される裸の遺体の山や表情をなくした骸骨のような収容者の顔に意識がピン止めされたままであることに変わりなく、どうしようもなく虚ろな気持ちになる。本人もそうだったのかもしれない。


彼女がのんきに映画を撮っていたその同時期に就学禁止や戦時労働配置、秘密国家警察やらいろいろ事態は進んでいるわけで、見ないようにしていたというだけでも、十分罪に値するんだろうと思わざるを得ない。と思わせる後半だった。無邪気というか素直というかまっすぐな90歳、それも常にヒトラーの近くにいながらナチにならなかった老女だからこそ際立つのかもしれない。一般のドイツ国民だって、オーストリア人だって、同じようなものかもしれん。