そうだ、書いておかないと忘れる。


竹熊さんのポニョとパンダの三回目を読んだ。なんというか結局説明は出来ないのねやっぱり。時間かければ出来るのかもしれないけど、要するに宮崎駿は凄過ぎて訳わからんということになってる。


映画では、こういうバケモノが「ソースケ、大好き〜!」と言って抱きついてくるわけです。

『ポニョ』の本質はホラー映画であることを、(後略)

(強調の再現が面倒くさいので略しました)



ホラーっぽさはありましたね。例の荒れ狂う海で巨大な波頭を猛スピードでポニョは。の場面は走行している車にさえ追い付くという口裂け女を思い出しましたもの。


「なんでガチョウとパンダが親子なんだよ!」と怒る人はたぶん一人もいません。




追記で書かれてるけども実はほんとうの親子じゃないかもしれないっていう場面は確かにあった。でもあそこは別にヒアリング云々は関係無いと思うけど。なにか大事な話を告白するんだよみたいな場面で、どう見ても血のつながりの話を匂わせてたし。しかも自己つっこみとかでもない。だってほかの住民見るとウサギはウサギ、豚は豚で家族を構成していたのでピンとポーの親子の組み合わせは明らかにおかしいもん。パンダの父ちゃんでもよかったはずだもん。


たぶん赤ん坊のころ拾ったんだよみたいな話がくっついてもおかしくはないけどテンポとかバランス考えて、作らなかったんじゃないのかなぁ(上映時間的には大丈夫なはず)。捨て子のタイ・ランと彼を拾ってわが子のように育てたシーフー老師も大きなユキヒョウと小さいサルの組み合わせだし。あ、そうか、似たような義理の親子の話が二つ並んでもクドイだけかもね。対比としては面白いけど。比較的素直に育ったデブパンダと凶悪になってしまったユキヒョウレディメイド、ウェルメイドだからって気を抜いて見ちゃだめだよ竹熊さん。がんばろうよ、そこは。動きだって凄かったと思うよパンダ。ま、ゲーム作成も同時にやってたから力が入ってたのかもしれんけど。映画としてなかなかのものでした。はっきり言って総合点ではポニョに引けを取らなかったと判断してます、私。ま『ダークナイト』のほうが上だけど。


で、宮崎駿監督。なんでいわゆる売れ筋の作り方・作品じゃないのに受けてきたのか?って話。具体的に書くと、宮崎駿の映画で“泣けた〜”とか“あそこ泣ける〜”というポイントってほとんどないもんね。大蟻食先生のいうエモいところがないもん。一億総白痴化したかと思われていたこの日本で“エモさ抜きに受ける作品”を成立させている肝は何なのか?


ストーリーではないことははっきりしている。音楽は添え物、というと言い過ぎか。まぁメインではないし、絵がいいかって言うと、宮崎モノや高畑モノのTVシリーズなんかでも慣れているので気にならなくなっているけど、冷静に見直してみると特にいいわけでもない。


やっぱり動きだ。画面の中の動き、編集のつなぎ方の動き。たぶんそこが一番効いている。


外国は知らないけど、日本だとアニメーションはTVで掃いて捨てるほど流されていて、多くの人は何かしら見てきたはずで、それに慣れている。じゃ普段見慣れたアニメーションってどんなのか?それこそお約束でガチガチ、しかも週に1本というペースでじゃんじゃん作られる。そこでは画にこだわって作るなんてことはたぶんできないし、ましてや動きなんてものは殆ど放置せざるを得ないんでしょう。そうするとどうしたってエモいポイントや萌えるポイントに重きを置いた脚本と絵(しかも粗雑)になる。


普段そういうものばかりを見ていた人が、それらとは全くの正反対、ストーリーは後付けでしかもところどころ破綻してても気にしない、とにかく動きだ!の宮崎駿作品を見てその格段に面白い動きに惹きつけられるのは当然の反応でしょう。動きというのは脚本・ストーリーとは違って無意識であるほど効果的なのかもしれない。竹熊さんとこに貼ってあるフライシャーのベティー・ブープは初めて見たけれど凄く面白い。これもたぶんそういうこと。


普段はプロレ向けのジャンクばかり食っている人に手の込んだ料理を食べさせるような感じだろうか。味覚は子供のころに出来上がるというのが本当なら、子供にこそちゃんと作ったおいしいアニメーションを食べさせないと手遅れになると思ってるのかもしれません宮崎駿。とにかく、世の流れ(エモい=泣ける・萌える、だけのジャンク)に真っ向逆らいながら大ヒットさせ続ける宮崎駿はやっぱりすごい