大蟻食、“イコノロジー”を説明す

うわぁ。なが。おも。


今日は休み前最後だったので頑張ってしまった。疲れた。帰ってきてから2時間ほど寝て(寝た記憶はない)21時頃に再起動。なので読む気力がなかったの。でもちょっとだけ。


1. ディスクリプション

画面に描かれているものを逐一挙げて行く。色彩・形状・配置についても忘れてはならない。ただし、何が描かれているのか、については次の段階まで注意深く保留しておくこと。


(中略)


2. 判断

ディスクリプションにおいて挙げられた要素を、作品に対して適用可能な文化的文脈に照らし合わせ、保留しておいた「何が描かれているのか」を判断する。


(中略)


3. 解釈
さてその上で、この作品をどう解釈すべきか、が来る。イコノロジーの適用によって、ルネサンス絵画の多くが秘教的文脈の上に描かれていたことが明らかになり、ルネサンスのイメージを一変させたのは随分と前のことだ。


(後略)

(強調は私)



うおぉ、『小説のストラテジー』のようだわ。ところで、「2.判断」と「3.解釈」はとても似ている気がしますね。現在の眠い頭では分かりません(明日の朝でも無理かもしれぬ)。


もう一点。「2.判断」にある“適用可能な文化的文脈に照らし合わせ”というのが気になります。まぁ「美術史学におけるイコノロジー」ということなので当然かもしれませんが、これを無視した判断というものはダメなんでしょうか。文化的文脈なくして程度の高い「判断」は不可能なのでしょうか(理解度の高低があるとするなら、その理解過程の各段階における高低もあるだろう、という意味で)。


もちろん文化的文脈(時間的な文脈=縦軸、地理的な文脈=横軸、などいろいろな文脈がありそうですが)がダメだと思ってるわけではなくて、どちらかというと難しいことを考えないまま鑑賞したなら、自然に文脈にのっかった判断(解釈)になるだろうと思います。単に過去の作品、流れ、歴史から断絶した作品or判断(解釈)という可能性はないのか?という点だけ、気になったので。


というかずーっと気になり続けてるんですね(ほんとしつけ―な俺。竹熊さんのパンダについてもしつこいな、今思うと)。文脈を意識した判断(解釈)は『ストラテジー』にも書かれていたはず。過去の鑑賞者(芸術による快楽の享受者)や現在の他の鑑賞者との勝負でもあると。


さっき書いた“縦軸”という言葉は、過去の鑑賞者との勝負という意味でも使えますが、歴史的な文化的文脈に乗って判断する場合、過去の鑑賞者との勝負でありながら、前提となる条件(文脈)が当時とは異なっているので実際のところは、おおむね同じ文脈を共有している同時代の鑑賞者との勝負のみにならざるを得ないんじゃないのかと思います。


文脈(判断の前提条件)が大きく変わる、というのは大蟻食せんせいが引きあいに出されているルネサンスなんかがそれにあたりますし、今であれば911は――特に対象がアメリカ映画などでは――外せないんじゃないでしょうか。911を考えるとやはり「同時代性」という言葉は無視できない気がします。


あ!書きながら思いついたぜ!ということは、過去の鑑賞者との判断(解釈)の比較(勝負)は“文脈に依らない要素に関するものだけが重要”になってくるんだ。つまりその作品が持つ普遍的な美が浮き上がってくる?


なんだ。そういうことか?そうだな。そうであってほしい。だってもう眠いんだもん。