ようやく読み終わった。


フリッカー、あるいは映画の魔

フリッカー、あるいは映画の魔




これは、なんというか、すごかったな。最後になってようやく装丁の意味がわかった。


しかしなんというか、いいのか、これで。クレアがちょっとかわいそうだし、なによりジャネットが勿体ないにもほどがあるそりゃおまえもうそんなことにされちまってもしょうがないぜここぞという時に判断を間違えたんだからなとか思ったけれどっぱりみんなかわいそう。そんな彼らをよそに気持ち悪い連中が笑っているのかと思うともうちきゅう丸ごと破壊して粉々にしてやりたい!と強く思った。ふへへ。


前にも書いたけど訳したひとがえらい気がする。田中靖という人。原文もいいんだろうけど、日本語がとてもいい。読みやすいしかといって下品でもないし。一点だけ気になったのが会話文のカッコ「」でカッコはじまり(=「)はあるのにカッコ閉じ(=」)がないところが目についたこと。


最初は間違いだと思っていたけど、こんなに丁寧に訳す人がそんな間違いはしないだろうと思って読み返すとちゃんとキマリがあった。それは一人の人物が延々と語る場面に限られ、しかも合間に地の文が入らない場合に限られていたのだった。つまり

地の文****

「************************* …(1)

「********************************** …(2)

「******************」 …(3)

地の文******




こんな感じ。


つまり(2)と(3)の頭にあるカッコ開く(「 )はなくてもいい。最初の会話文を閉じないまま、次の会話文が始まったことだけが強調される。長い、独唱が続いてくると読んでいる自分のテンションがゆるやかに下がって(たとえリズムの良い翻訳文であっても)いくんだけど、それが閉じられないまま次のカッコ開く(「 )があらわれると、僕はそこでもう一回テンションが引っ張り上げられる気がした。


たぶんこのカッコを閉じないというのはルール違反と呼ばれるかもしれないやり方だけども、僕個人にとってはなかなか効果的で面白かった。まぁほかにも突如として巨大なフォントが現れたり、ページが斜めに製本されていたり、空白ページが何枚も挟まっていたりと、いろんなことをやっている本もあるので、これくらいはいいんだろうと思った。というか結構いいぞ、これ。上品だし(というかさりげないわりに効果的。つまりフリッカーのごとき効果。つまりこの本の内容っぽい。つまり田中靖えらい)。