←まさか、これをそのまんまの意味で使う日が来ようとは…

もうね、死にました。僕は今日、朝いちばんで死んでしまったのです。


これを書くために思い出すのもつらいです。でもこれは書かざるを得ない。


うんこ漏らしたんですよ。バスの中で。だい(うんこという意味ではないですよ、念のため)の大人が漏らすなどありえないですよ。許されざるものですよ。漏らしても許されるのは赤ちゃんくらいですよ。赤ちゃんはおっぱいのんでうんちするのが仕事だからいいんですよ。大人はダメ、ゼッタイ。


どう頑張ってみても許せるのは小学生低学年までです。漏らしていたたまれなくなって泣いてしまうくらいのチビっこまでですよ。繰り返しますが、大人はダメ、ゼッタイ。


もちろん、食中毒だかなんだかで急速に体調が悪化した挙句、いたしかたなくということであれば臥薪嘗胆堪えて見せましょう。僕だってにんげんだもの


あのね、なんだか臭いなぁと思ってはいたんですよ。正直申し上げますと前の席に座っていた60歳くらいのご婦人を疑っておりました、はい。だって臭いがキツかったので、すぐ近くだと思ったんです。しかし、それは間違っていました。ごめんなさい、前に座っていたおばさん。


とあるバス停でですね、その人物が現れたんですよ。降りる段になってようやく視界に現れたというわけです。そのひとは80歳くらいの爺さんでした。身長は結構あって170以上はあったと思います。体がすごく細かったので余計に高く感じたのかもしれません。上着は普通の白いシャツだった気がします。ポロシャツかな?靴はごげちゃ色の皮靴に見えました。ある一点を除けば、普通のお年寄りでした。


ある一点。その爺さんはズボンを穿いていなかったのです。白いステテコというのでしょうか、あるいは足首まであったのでモモヒキでしょうか、とにかくズボン下、つまり下着姿だったのです。そして恐るべきことに、そのケツのところには赤茶のシミがべったりと付いていたのです。いえ、正直に申し上げますと、それはシミなんてかわいらしいものじゃありませんでした。うんこそのものがべっとりと付いているといっても過言ではないくらい染み出していたのです(書いていて吐きそうです、ほんと)。


シリアナあたりでしょうか、もっとも幅広くシミ出しており、そこから多少上方向へ広がり、また左足のほうへも細長く流れていました。その糞爺(←あのね、普通は比喩ですよ、これ)は運転手のとなりに立ち、整理券を片手になにやら運転手と話していました。運転手だってあれだけ近ければ下着姿なのはわかったでしょうし、なによりその強烈な臭気に気がつかないはずがありません。注意しているのか何か質問しているのか分かりませんが、20秒ほどのやり取りの後その爺はバスから降りたのでした。


注意ではなかったかもしれません。その糞爺(←書いていて腹が立ちます)は整理券を入れただけで降りたので、ひょっとしたら老人パスを持ってないのか?くらいの話だったのかもしれません。


その後、目的のバス停に着くまで、先ほど降りた糞爺(←なんか、こう、許せないです。もっといい罵る言葉がほしい)が残していった強烈な臭気にむせつつ、窓を開けようとして格闘し、結局はめ殺しのようにロックされていることに気づき、かといって降りるに降りられず、深いふかい絶望の淵に沈んでいきました。結局、僕はお昼ごろまで悪臭の記憶に苦しむことになったのです。


どうせなら、裾からポロポロとうんこをこぼしてくれてればよかった。そうすれば僕は糞爺のおりたバス停で一緒におりて歩いていったことでしょう。しかし、現実は常に厳しいのです。あれはそんなまっとうな健康的なうんこではありませんでした。下痢便でした。だからこそパンツ+モモヒキの厚い壁を突破し、表面にまで染み出し、強烈な悪臭を放っていたのです(書いていて死にたくなりますね、これ)。


もうね、恐ろしくて振り返ることができませんでした。その汚物は僕より後ろに座っていた(なぜか今日に限って席はガラ空きだったので、座ってたはずです。ひょろひょろの高齢者だし)ので、どの席かはわかりませんが、相当おそろしいと容易に想像されるその無残な光景を見てしまったら、僕は、僕はもう二度と立ち直れないと、遠のく意識の中感じたのでしょう。無意識の防御反応です。


ということで結局見なかったのですが、よくよく考えてみると「僕はもうバスでは座れない」、と結論せざるを得ないのでした。それも「二度と座れない」です。しかもあの爺、股引の尻のあたりをガリガリと掻いていた。さすがにシミには触れていませんでしたが、掻いていました。あの手が、あの指が、どの吊革を握ったのか、どの取っ手に触れたのか、どの支柱を握ったのか…(書いていて息苦しくなってきました)。


何が腹立たしいってね、あの悪臭を嗅いでしまったことですよ。臭いを感ずるという以上、何らかの気体状(あるいは蒸気?)の物質が、あの糞爺のびちぐそからふわふわと漂ってきて、その何らかの(おぞましい)物質が、こともあろうに僕の鼻に奥深く侵入し、感覚器官に刺激を与えたわけですよ。それがもう耐えがたく。許しがたく。七転八倒。塗炭の苦しみ。いや塗炭のほうがまだ耐えられる。なんていえばいいの?


さらに僕を恐怖させるのは、その糞爺が実はボケ・痴呆であるとかキチガイ・気狂いであるようには見えなかった、という事実です。確かに、ズボンを穿いていない、というのは異常かもしれませんが、運転手とのやり取りを見たぶんには、それほど頭がおかしいようには見えなかったのです。これはやばい。


つまり、ある意味「普通」に分類できる(ぎりぎりかもしれませんが)お年寄り、がこのようなバイオテロ(本人は意図していないでしょうが、これは断固テロであります)を引き起こしうるということなのです。


今日の、この事件だけならそこまで思わなかったかもしれません。んが、実はついこの前にも似たような事件を目撃したのです。それはバスを降りて駅へ向うときに歩道でみたのですが、これまた80歳くらいの、こちらは幾分太めでしたが、お年寄りが右手でモゾモゾと股間をいじって(右手はビニール袋を提げていてふさがっていました)いていたので、つい見入った次第なのですが、その老人はちんこを握ってポロンとだしたのでした。そして出し切らないうちにジョボボボボーとおしっこを噴出させたのです。もちろん右手はおしっこまみれ、ズボンだっておしっこまみれです。しかも片側三車線ある大通りに向かってジョボボボボーとやったのです。「なんと壮大な立ち小便!さすが戦争を経験してる世代は違うな!」などとはこれっぽっちも思いませんでした。それは立ち小便のようすがせっぱつまって頑張ってちんこを出そうとしたけど間に合わず、手もズボンも濡らして、明らかにしっぱいしていたからでしょう。電柱や街路樹に向かっていれば良い、ということでは決してありませんが、それでもアレはありえません。


おむつしろって言われると嫌がるそうです。言われれば言われるほど拒絶するそうです。寝たきりであれば選択の余地はありません。ですが、自分で歩ける状態であれば無理やり穿かせることはできません。ですが、歩けるからといって必ずしも自分でトイレに行けるわけではありません。いや、行けないというよりは、尿意や便意を自覚したからといって間に合うとは限らないということです。僕がみた立ち小便爺さんは、あきらかにトイレに間に合わないから仕方なく道路に向かってやった、後悔はしている(たぶん)、という感じでしたよ。


でも、年食って頑固になって子供に戻ったかのような年寄りは、間に合わないからと言っておむつは穿かない。穿かないどころか、トイレのことを考えて飲食のコントロールしようとさえしない。何回か失敗して、つらい目にあって(周りもつらいんだぜ!分かってよ)、ようやく穿いてくれるか、寝たきりになって穿かされるか。何回も失敗しなくても、たった一回失敗して、おむつを穿くようになったとしても、高齢者の数が多いと、母集団が大きいと、あちらこちらで糞尿が撒き散らされることになる。


立ち小便の光景を目撃したとき、僕の中でなにかが崩れかけた気がしました。それが今日の体験で、疑念が確信に変わりました。ターミナル駅のバス停を兼ねた歩道の人ごみのなか、大通りに向かって垂れ流された小便によってひび割れが起こり、路線バスのなかで強烈な臭気を放っていた液体状の大便によって完全に崩壊したのです。


道徳なんてどうでもいい。


高齢化社会ですよ。これからもっと進行するわけですよ。それはもうスペイン風邪くらいのパンデミックの嵐が吹き荒れて高齢者が死に絶えるというようなことが起こらない限り、間違いなく訪れるわけですよ。親の世代、団塊の世代が控えてるわけですよ。高齢者ドライバーも恐ろしいですよ、もちろん。でも、糞尿テロのほうがもっと恐ろしいんですよ、僕にとっては。今回は見ていたから避けられたけど、自分が乗る前にテロリストが降りていたら、どこに座っていたか、何を触ったかなんてわからない。バスだけじゃない、電車だってそうだし、病院も市役所も映画館も本屋も、どこもかしこも危ない。もう家を出られない。みんなamazonで生活するしかないのか!


駅のトイレなんかで観察するかぎり、6,7割の連中は手を洗ってません。そんな連中があちこちベタベタ触っている。それだけでも結構なストレスだったんです。そこへこのバイオテロですよ。もうね、潔癖症に戻ってしまいそうです。またアルコールしゅっしゅ、の日々ですよ。あらゆるところでキー!!となるわけですよ。


どうすればいいの?65歳以上はみんな強制収容所に入れる?安価な労働力にして、若い連中はみな強制的に正社員にする?帰化したりして海外に逃げた年寄りは日本版モサドで誘拐してきてはみんな死刑にする?もういいじゃん70で死んだって。安楽死認めようよ。僕はそれでいい。


もういっこ。恐怖以外に思った。看護婦さんとか介護士さんとか、すげぇ。ものすごい。僕だったらいまの給料の3倍もらっても断る。愛なんだろうか。


僕は親とか叔父叔母とか、血縁だって世話できる自信ない(というか、自分のうんこだって嫌だもん。仕方ないから付き合ってるけど)。ヨボヨボでろくに動けないくせに口だけえらそーにして糞尿撒き散らす年寄りなんて殺してしまうかもしれん。ながーい棒かなにかで遠くからガスッガスッて突き殺すかもしれん。


そして、その裏返しでもあるけれど、赤ちゃんはすげぇ。同じうんこ漏らしても許せるんだ。くさくても許せる。他人の赤ちゃんでも許せる。なんでだろう。


以上が、今日思ったこと、考えたことです。冗談ぽく読めるかもしれませんが、正直ほんとうに、ダメージ受けました。まじ潔癖症に戻りそう。