シンドラーのリスト 【Schindler's List】

ということで、昨日と今日、一枚づつ見た。





一回目はとりあえず何も考えずに見ようと思っていたけどやっぱり「顔」を意識してしまった。


結論からいうと、それほど顔を覚えてはいなかった。覚えていたのはやはり覚えさせようと意図していたであろう人たちに限られていた。どういう人たちかというと、ゲットーの場面や列車に乗せられる場面などで繰り返して何度も映し出された人たち。


意図していたであろうことが最もはっきりわかるのが、ドイツの無条件降伏がラジオで報じられた夜、ユダヤ人労働者=シンドラーユダヤ人とドイツ兵を集め、シンドラーが演説をするところ。工場を埋め尽くす無数のユダヤ人の顔の中を画面の右から左へとそれまでにも繰り返し映してきた顔たちをまるで飛び石のようにぽつんぽつんと映し出すところ。ここでようやく幾人かのユダヤ人を意図的に選んでいたことがはっきりわかる。群衆のなかの定点観測。彼らの属性にはこれといった特徴はない。あるとすればラバイのおっちゃんと闇で物々交換をしていた男くらい(ひょっとしたら彼らが映画の本当の最後に出てくる高齢になった生存者だったからという理由かもしれないけど)。


で、なぜ彼らの顔をよく覚えているのか?ということだけど、もちろん何度も繰り返し映されるというのが一番の理由。ストーリーに絡めば一発で覚えられる。固有のストーリーを持っていたのはラバイとブローカーと収容所の所長のメイドをしていた女性くらい。あとはこれといった、目立った背景はもっていない。じゃあなんで?と。彼らの顔が映し出されるときは、だいたい3秒程度、特にセリフもないままじっと映される。当然あまり幸せな顔ではなく、かといってあからさまな恐怖でもない、薄ら恐ろしいというような表情。その表情に個人的な何か(背景、理由)はなくとも、見ている者としてはどうしてもナチやシェパードに囲い込まれたユダヤ人の集団全体の運命を背景にして彼らの個人の表情(=これは演技)に魅入ってしまう。それが繰り返される。


「顔」でいうともう一か所だけ気になった場面がある。それは、シンドラーのリストが完成してシンドラーの故郷チェコに移送されるところ。一人一人名前を呼ばれて顔が映る。もちろん上記の「定点観測用の顔」も一通り映される。彼らが映し終わったあとに、これまで見たことのない(あるいは、覚えていないだけかもしれない)顔がそれぞれの名前を呼ばれた後に大写しになる。これは本当に大きい。ほぼ正面から。


どれもひどくゆがんでいたり皺だらけだったりと歴史を感じさせる顔で、その大きさだけではない迫力がある。まったくもってオカシナ話だけど、あれを見て思い出したのが例のシャベル大隊の映像。あのとき、出身地(と名前?)を大きな声で呼ばれて映される大きな顔。もちろんその表情は正反対といってもいいものだけど、畳みかけるように読み上げられる名前と画面いっぱいの顔がそっくり。


そうそう、もういっこ。「定点観測用の顔」の人たちはこれといった個人的なストーリーはないと書いたけれど、彼らのほとんどが誰かと一緒に写っているというのは結構重要かもしれない。夫婦だったり親子だったり恋人だったり。一人の顔だと印象は弱いかもしれないが、複数セットの顔だと覚えやすいらしい。その人と人の間に彼らのストーリーを想像してしまうからだろうか。


これをもう一回見るのかと思うと気が重いなぁ。やんなっちゃう。もう。疲れるんだもん。