クォ・ヴァディス 【Quo Vadis】

これを見た。


クォ・ヴァディス [DVD] FRT-052

クォ・ヴァディス [DVD] FRT-052




キリスト磔刑から30年。キリスト教が今だ迫害されているローマ。皇帝は誰だってその名を一度は聞いたことがあるであろうネロ。暴君ね。


人質としてローマに連れてこられた蛮族の王の娘リギア(デボラ・カー)に一目ぼれしたガイウス・ペトロニウスの甥で若き軍団長マルクス・ウィニキウス(ロバート・テイラー)がリギアのかわいいお尻を執拗に追いかけ、なまじ権力(伯父さんがね)があるために普通なら“おまえ、それは無理だろ!”と思うような強引さで彼女をストーキングすると、彼女は当然のように恐れ戦き逃げ出して、ローマ市内のキリスト教徒に匿われてたのだが、あまりにもしつこい追跡にとうとう見つかってしまう。リギアを見つけたマルクスは300人以上を倒し続けてきたローマ一屈強な剣闘士ナントカカントカを連れて彼女を拉致しようとキリスト教の集会に忍び込む。ここで白ヒゲのペテロ爺さんの説教を聞いて少し感化されるが、根が戦争大好き体育会系青年であるため「なんだろう、この胸のざわめき?」という以上の探究心は早々に消え去り、やっぱりかわいいリギアのお尻を追いかけるのだった。で、拉致しようとしたんだけども、ローマ一の大男を連れて行ったにもかかわらず、人質となったリギア姫にくっ付いてきた護衛ウルススに返り討ちにあってしまう。ナントカカントカは殺されて川に投げ捨てられ、マルクスは右手の一撃で吹き飛ばされてお仕舞い、気を失う。マルクスも殺されるんじゃないかと思ったけれどもそこは主人公、殺されるわけはなく、しかもこの野獣のようなウルススもココロ優しきキリスト教徒であったので特にリギアの指示があったわけでもないのに、マルクスを抱えてお持ち帰り。キリスト教徒たちに介抱されて目を覚ましたマルクスは彼らの信仰に触れるうちに、ペテロ爺さんの時よりもまた一歩キリスト教というものに近づくのであった。


ということで、この映画、ラブストーリーの形をとった新手の布教活動映画だったのだった。新手といっても半世紀以上前の映画であって著作権が切れているので500円で投売りされているシリーズの一枚なのですが。まぁ、布教映画というのは言いすぎか。ネロ時代のローマ、ということで見るとそれなりに面白い。例え背景が銭湯のペンキ絵であったとしても、2頭立ての馬車によるカーチェイスバリバリの合成であったとしても全体に与える影響は小さい。合成はともかく、実際馬が疾走する姿は素晴らしい。なんだろうな、あの迫力は。『ベン・ハー』でも思ったけど昔の映画(黒澤明も)のほうが馬がよく見えるのはなんでだろう。


それにネロ(ピーター・ユスティノフ)が面白い。あのトロンとした目にぽかんと緩んだ口元。アホ坊(ぼん)まるだしの皇帝が微妙な歌やら詩を披露してくれる。あれがジャイアンの圧迫リサイタルくらいの破壊力があればギャグになるんだが、微妙なのでかえってシロウト臭さが強まり、下手の横好き感が滲み出る結果となり、そのアホ顔とアイマッテもの悲しさが漂う。ネロのほかにも、近衛隊長がいかにも小物の卑しいバカといった顔つきであるし、ポッパエアの綺麗だけどとてもきついイライザ顔(←分かるか?なんなら桔梗屋の弥生でもOK)だったり、顔のまんま、見たまんまやないか!というのもあるが、それはそれで悪くないのかも知れない。例の『北斗の拳』のケンシロウが二枚目なのは格好いいのではなくてナイスなヤツであることを示しているというアレだ。顔を見せるだけで伝えるので端役個々の細かなエピソードを撮る手間が省けるのだ。


ま、アホ顔とかアホ坊とか連発したけど、演じたピーターさんはサーですから。実際には人は見た目に拠らないのです。いや、別にサーだからアホではない、ということでもないけどさ、あれ良い演技だし。


でも、やっぱりこれはキリスト教の布教映画なのだ。最後のラストシーン。いったんローマを離れようとした白ヒゲピーター爺さんが、そこだけ風に揺れていない枝の合間から差し込んだ聖なる光を見、少年の喉を通してキリストの声を聞いてローマに引き返すあの場面(個々で「Quo vadis」が出てくるのね)で忘れた杖から、新芽が出ているのだった。こ、っこれが噂に聞く希望ですか。あのマボロシノキボウ… これを見たとき、時折、教会の人が持ってくる聖書関係の小冊子を思い出した。すっげー雰囲気が似ているの。あの冊子に。


でもなぁ。最初見たときに、“おい爺さん、杖ッ!杖ッ!忘れてる!”と“志村!後ろ!志村!”並みの鋭いつっこみをした僕の小さな親切心をどうしてくれるんだ。まったく。