大蟻食、耳栓を買う

とうとうお買いになられたのですね、オーダーメイドの耳栓。


でもね。

幸い両側のスピーカーの直撃を免れる階段の柱の影にいて事無きを得ましたが、爆音で具合が悪くなっているひとが結構いました。別にもうちょこっと音量絞っても悪いことはないと思うんだけど。

(強調はわたし)



なんのお話かと言うと渋さ知らズのライブ(若ッ)のことですね。やはり大蟻食センセも人の子(?!)、好きなものだと攻撃も鈍るというか丸くなられるのですね。そんなにライブに行ったことはないけれど、大きいですね音。いちばん凄かったのは大昔、U2(いったい何をやってんだよ、Bono!)を聞きに行った大阪ドームですか。あれはちょっと耳が痛くなった。良かったけれど。


大きいといえば、カラオケボックスもやたら大きい。初めていったときには驚いた。まぁ、下手だし、あれくらいでないと恥ずかしいとか、余所の音が気になるとか色々理由はあるんでしょうけど。そういや、ファンタジーノベル大賞の新年会は朝帰りだったそうで、皆さん若ッ!私なんて大阪でゲロ吐いてカラオケボックスで死んでましたよ。ダメだなぁ俺。


で、だ。nanoの音量をちっと抑えようと思ったけど、音の話は別にいい。問題はこっちだ。

きっちり締まったいい場面を漫然と積み重ねて行くだけで構造のないリドリー・スコットというのはかならずしも褒められたものではない訳だが、

(強調はわたし)



“構造がない”ですと!! 漫然と見、漫然と聞き、つまりは漫然と生きている私のことですから、気がつかなくとも不思議ではありませんが、『アメリカン・ギャングスター』に、いやリドリー・スコット作品に構造がなかったとは!!


というか、逆に構造のあるものってどういうものがあるんだろうと。おもいっきり分かりやすい典型的なものをだれか教えてくだしあ。うーむ。デンゼルのパートとラッセルのパートを適当に交互に混ぜましたよというだけだったのか。そうかもしれない。『グラディエーター』にも『ブラックホーク・ダウン』にも『キングダム・オブ・ヘブン』にもなかったんだろうか(ってスゴイなこの履歴。やるなぁリドリー・スコット)。時系列に沿ってカッコいい場面を並べただけ、ということだろうか。それでもOKというのだから相当カッコいいんだな。


構造かぁ。多分『ストラテジー』にも書いてあったんだろうな。忘れてるけど。つまんないことばっかり脳に残っていて大事なことは綺麗さっぱり消えてしまう、というのは病気じゃななかろうかね。はぁつらいわ。


同時代性の話とか当時から引っ掛かっていて、掲示板に突撃したりしていたけど、最近も『虐殺器官』の評価とか『ミノタウロス』についての発言(10年遅れでナントカカントカとかセルビア内戦の話とか911とかあの辺り)との絡みで気になっているんだけど、考える気力体力がない。んんん。睡眠は足りている。おつりがくるほど寝ている。必要なのはうなぎか?すっぽんなのか?


そうそう。あとですね、

アメリカがほとんどだったけど、時々ローデシアとか南アとかまで行っていた――ローデシアに関してはなかなかに感動的な話があるんだが、私がして聞かせるものでもなかろう)




とか言わないで、教えてください。聞きたいです。