未知への飛行 【Fail-Safe】 The matador, the matador is…

いやぁ。哲也先生の口から出ていた数本の映画、TVドラマのうちたったひとつ覚えていたのがこの『未知への飛行』でして。隣の隣にいらっしゃった男性(名前がわからんかった。すみませんドーモ)がリストを書かれていたときにお教えしたので覚えておりました(あのリスト欲しいなぁ)。





モノクロだった。古い。なんかやだなぁと思ったのも束の間。ほんと束の間。


AM5:30 ニューヨークで闘牛。コロッセオのような会場で行なわれている闘牛。しかも大都市。しかも朝の5時半。な、な、なんじゃこりゃぁ。と思ったのも束の間。ほんと束の間。映像表現が凄かった。久しぶりに圧倒された。モノクロだし、こんな時代にCGとかなかったよな、という意識ももちろんあったけれども、その分を差し引いても凄かった。危ない種類の映像だ。


内容は核兵器をめぐる複雑なシステムにエラーが出たために、爆撃機の一隊がモスクワへ向かってしまったので戦闘機を送って撃墜(同士討ち)させようとしたり、大統領自身がパイロットに当てて通信してみたり、最後には爆撃機の位置情報をモスクワに知らせたりするんだけども、ことごとく失敗してどんどん追い詰められるというもの。失敗。と簡単に書いたけれども戦闘機なんて燃料切れて北極海に墜ちるんだもん。そのまま死ぬことは戦闘機のパイロット自身知ってて同僚を撃墜しにいくんだもん(成否に限らず死ぬ)。愚痴が控えめなんだよパイロットの。


爆撃機の方だって内容が内容だけになんども確認しようとするんだけど結局ダメ。こっちも死ぬ覚悟をしているし、さらに数百万の人命を奪う事実に戦いているし、でもおれ、死ぬのかみたいな通信兵の愚痴があったり。堪える。また隊長が優秀なんだこれが。通信による命令は聞くなという鉄則を守って大統領や妻の声さえ遮断するし、敵の攻撃をかわすとっさの閃き(重複表現だろうか?)とか、部下への気遣いとか、もう兵士の鑑だわ。


結局、登場する全ての人間が結構ちゃんとしていて、見ている者に責めを負わせる対象を作らせないのね。こいつぅって言えない。まぁ、強いていえば、貧民街出身のたたき上げらしい軍人の暴発とか、ネオコンもちびりそうな超タカ派の教授(驚いたのはこの役をウォルター・マッソーがやってたこと。美女をパシッてなぐったりすんだよあのおっちゃんが)くらいだけど、事態の進行にはあまり影響していないし。


面白かったのは、無事に到達しては困るはず(大統領以下、阻止するという意志ははっきりしている)の爆撃機ソビエト連邦(うわぁ、書いていてなんかじーんとくるものがありますなこれ)の迎撃を上手くかわしたところで、アメリカの司令部らしきところにいたオペレータたちがうわー!って喜んだとこ。いやいや、お前らそれはアカンだろと思ったけれど、流石にアレがアレした音を聞いたときには静まりかえった。


で、思うわけだ。この状況は変わったのかと。基本的には変わってないよね。物理的な可能性は同じ。テロといった少々異なる可能性ーかなり実現性が高いけどーが加わったくらい。この前の大江健三郎云々の話を思い出したけど、昔の方が真剣に心配していたかもしれないとこの映画見て思った。今なら一個くらい落ちても、イランやインドやパキスタンにね、うわーと一瞬思っても大きな流れは変わらない気がする。この日本でさえ。いや、日本だからか?


冒頭の闘牛のシーン以外、これといった戦闘シーンはなく、司令室やら地下シェルターにこもった大統領(ヘンリー・フォンダ)と通訳(ラリー・ハグマン)やコックピットのシーンばかり。爆撃機や戦闘機も時折映るけど動きはない(ただネガのように白黒反転している気がする)。なんというかシチュエーションスリラーというのかポリティカルサスペンスというのか、状況で緊張しっぱなし(内容が内容だから当たり前だけど)。


古いから、モノクロだからと侮ってはいけません。これはいい。面白うございました。哲也先生は見ようと思う映画は基本的には監督であたりをつけると仰ってたし、シドニー・ルメットでなにか見てみようか。


そうそう、ブラック准将(将軍?)役のダン・オハーリー(Dan O'Herlihy)が良かった。顔も声も渋くて。