読ませる。とな?

枕もくそもなくいきなり。

たとえよぉく知っている筈の日常を書いた小説であっても、小説である上は知らない世界の他人の生活だ。頁のこちら側とひとつながりでずるっと読めるものではあり得ない。




そうですね。僕は逆にひとつながりでずるっと読める小説を知りません。なにかありましたっけ?


勘違いかもしれないけど、たまに筒井大先生の小説をずるっと読んでいるんじゃないのかこの人?と思うような感想などを見かけますが、僕は努力してもそういった読み方が出来ないのです。なにかこう欠落しているのかね俺とか思ったこともあります。前頭葉がおかしい?とか。

すんません、うるさくて。でもこの意識を全く持たない読み手に何か読ませるってのは、ほんと、しんどい話なんで。

(強調はぼく)



で、大蟻食さんは誰に何を読ませようとされてるんでしょうかね。またどっかで先生みたいなことやってらっしゃるんですかね。うーん。とりあえず、すんませんとかシタデに出ておられるので、なにかこう天変地異の前触れではないかとガクブルしております。深夜に。


そうそう。

頁のこちら側とひとつながりでずるっと読めるものではあり得ない。もしそうであったなら、その書き方に対して疑問を持つべきであろう。これはまったく意識せずに採られた書き方なのか、それとも何かの意図があってこう書いているのか。




この部分なんすけど、この前日記で触れておられたジョン・アーヴィング。あれに適用した場合ですね、あの書き方はジョンくんに特段の意図があったとお考えですか?ま、自分が読んでない現時点でこういうのもアレですけど。少し前に、ジョンくんのインタビュー記事を見たとき、自分は職人なんですよ見たいなことを言っていたので、ひょっとしたらジョンくんはああいった書き方しか出来ない、ということもあるんじゃないかと、こう思った次第です。


ようやく眠くなってきたので寝ます。つづく。


ということでつづき。と思ったけれど、なにを書こうと思っていたのか忘れたので別方向へ行きます。


マキューアンの『土曜日』ということで探してみると、これが見つかった → Ian McEwan Website: Saturday


日本だと む、珍潮社かッ!

突発的なテロ、見知らぬ若者の激発、親友との仲違い。なにが起こっても起こらなくとも不思議ではないその日、ヘンリーの周囲は危機の予兆に満ちていた。そう、世界はあの日以来変容してしまったから――。




嗚呼、9・11か。ブッカー賞候補というし、それなりに面白いんでしょうな。で、その書評はどこに載るんでしょう?褒めてたら読んでやんよ!


ところで、このイアン・マキューアン、オフィシャルの写真がかっこええ。渋いおっさん。これ、『羊たちの沈黙』のクラリスの上司やってたスコット・グレンに似ている。悪いこといっぱいやってるんだろうなこいつ。


写真をクリックするとこのポートレートを撮ったらしいカメラマンのページに行くんだけどもこのひとが綺麗。やばい。keke keukelaarだってさ。ええなぁ。ニキ・ド・サンファルみたい。まぁ、若いとき限定だけど。草間弥生さんだって昔は綺麗だったんだけどなぁ。ナイーブだとああなってしまうみたい。そういう意味でも美人薄命というのは本当だったんだ。哀しい。