横浜市立奈良中学校のあれ

コメントもらいました。奈良さま、ありがとうございました。以下、全文引用してきました。

『こんばんわ 何処を見ても この話題は 気分が良くないです

なぜなら 私の子供は奈良中の生徒だからです。

この 先生は とても 生徒から 良く思われているのですが

部活中におこった事故?だったら 親に謝罪があるはずです。

でも 学校・この人は謝罪はして無いように感じます。

つい この間 臨時保護者会がありました。

事件後に 校長・副校長が赴任して来たので 書類でしか事故?当時の事は

知らなくて 保護者の質問に困っていました。

部活中となってますが 実際には 被害者は中3の冬
 
大会が終わって 部活を引退して受験勉強しているはずです。

今 この先生は謹慎中で どこかの障害者の学校で研修をしていると

校長は話していました。

一般的に 部活中に事故?があったら 顧問は責任をとるはずです。

怪我を言っても 骨折とかとは比較にならないぐらい 大きな怪我です

責任をとらず 事件がマスコミに知られるまで 柔道部の顧問をしていた

と言う事は 許されるのか?

被害者は 今もリハビリの毎日

治るまで 自粛するのが 普通じゃないかと思います。

自分の夢 オリンピックに出場する為に

学校・教育委員会は隠蔽をはかったのか・・



全体に微妙な感じもしますが、このコメント主はちょこっと見たところ神奈川方面からお越しのようなので、まったくでたらめとは言えません。まぁ、それぞれ判断してください。


気になるところは

  • 部活中となってますが 実際には 被害者は中3の冬 大会が終わって 部活を引退して受験勉強しているはずです。

たしかに、記事によると2004年12月24日(金曜日)ですね。その時期3年生が引退しているのが通例であれば変な話です。午後3時50分という時間のほうはどうなんでしょう。学校なんて随分と昔に卒業してしまったので忘れてますが、放課後なんでしょうか。


  • つい この間 臨時保護者会がありました。

これはこの事件が報道されたから開かれたのでしょうか。学校側の対応としては開かないよりは開いたほうがいいと思いますが、内容までは分からないのでなんともいえません。また校長・副校長(教頭とは違う?)が事件後赴任されたというのは、偶然でしょうか。事件があったから配置換えを行ったという可能性もありますね。こういうのは教育委員会が決めるのかな?

子供がいじめられて自殺したなんてときに、教育委員会が隠蔽しようとするのはよく聞く話なので、ついこんなふうに思ったりしますね。可能性を思ったとしても別に悪くないけどね。でも通常は本人が異動になるもんですがおかしいですね。

  • 自分の夢 オリンピックに出場する為に 学校・教育委員会は隠蔽をはかったのか・・

これが原因かもしれないですね。この顧問はVIP待遇だったのかもね。教育委員会がこの横浜市立奈良中学校を特別扱いする理由があればこういうこともあるかもしれませんが。教育委員会の委員長が出身者とか、校長していたとか。なんかそんなの。


  • 今 この先生は謹慎中で どこかの障害者の学校で研修をしていると 校長は話していました。

これはこの事件が原因なのでしょうか。それとも他に問題を起こしたのでしょうか。事件(の報道)が原因ならば、その対応はお粗末としか言い様がないですね。僕は、謹慎=研修というのがよく判りません。こう言うことかな?


教員の世界では、障害児学級や養護学校(に勤めること)が一般の学校より下に見られる、ということは聞きます。というか勤めていた伯母が怒っておりました。

本当に“障害児学校での研修”“懲罰的な謹慎”(?)に当たるというのであれば、そういう判断をした組織のオツムもまた腐っているといってよいと思います。僕としてはJR西日本日勤教育送りにすればいいと思うのですが。あの企業もなかなか変わらないようですね。

仰るとおり、硬膜下血腫や脳挫傷というのは骨折などとは次元の違う怪我だと思います。それが事件(事故と呼びたい向きもあるんでしょうね。吐き気がするなぁ)が起こって1年以上経ってから報道され、報道されたから目に見える形で学校側に動きが出てきた(校長その他が配置換えになったのはこれが理由かもしれないですね)というのは、教育上良くないと思うんですがどうでしょう。

TVや新聞で見聞きするような比較的遠い世界の政治家連中とは違い、小汚い年寄り連中(あ、教員やら教育委員のことです)が、目の前でこのような態度をとることが子供たちに対してどんな影響を及ぼすのか、当事者は想像したことが無いのでしょうか。想像力は自分の立場にのみ適用されるんでしょうね屹度。

配置換えになった当時の管理職(校長など)は、現在どんなことを考えているのでしょうか。当時はなにを思っていたのでしょうか。そして、配置換えの無かった他の一般教員たち(知らなかったはずはない!)は事件当時から今日までなにを思っていたのでしょうか。なにも考えず(生徒たちのことですよ)、なにも動かなかったのでしょうか。だとしたら『恥ずかしい』という言葉を忘れているんじゃないかね彼らは。


彼らは手遅れである可能性がとても高い(極めて個人的には、教師を目指す時点で、その人のお粗末さが見て取れるのですが)ですが、中学生たちはまだ大丈夫でしょう。まぁ目の前でこのテイタラクを繰り広げた年寄り連中が、そのくせ矢張り一段高い教壇の上から偉そうにゲロを吐きかけられると、かなりげんなりしてしまうでしょうが、そこで諦めたら軽蔑すべき彼らと同種のクズへ一直線ですよ。


“ポジティブ”やら“前向き”が“良いこと”として人口に膾炙(←使ってみたかった、てへっ)して結構経ちますが、“怒ること”“誰か・何かを軽蔑すること”はいけないことでも恥ずかしいことでもありません(あ、なんでもヤリスギは良くないでしょうが。そこの厨房、ヤリスギルナヨ)

とりあえず逃げたっていいので(逃げるところがあればいいですね)、あきらめないようにしましょう。汚物を投げつけれれても、汚物自身に踏みつけられても、諦めなければ中まで浸透することはありません。石鹸で丁寧に洗えばいいだけです。

でも、諦めてしまったら。『自分もおなじようなことをやってもいいや、もう』なんて思ったらお仕舞いです。“自分を汚すことが出来るのは他でもない自分だけなんじゃないか”と、最近になってこの年寄りは思うようになりました。どうなんだろう、今の中学生ってどんな感覚の持ち主なんだろうか。個によるか。まあ、ご参考までに。説教臭いか。自分で考えろと書いとけばいいか。


疲れた。寝る。