行ってきた

殯の森』行ってきた。近鉄で奈良まで行って、雨の中トボトボ歩きながら引き返す。近鉄新大宮の方が近かった。JR奈良のほうがもっと近かった。


100年会館というまだ新しい市民会館。スレート葺きのような外観。中に入ると既に人がいっぱいいて、並んでいたので珈琲も飲まずにそのまま並ぶ。これが痛かった。


20分ほど早く会場。かなり広いホールだったので1階の中央付近に陣取る。これも痛かった。左隣には太めの婆さん。これも痛かっ
た。呼吸がいちいち臭いんだもん。もう年寄りっていやだわほんと。

その後左隣に綺麗めな女の子が座る。だがしかし、よくみると不思議系だった。これは大して痛くない。


ブザーが鳴り緞帳が上がるとそこには舞台に比して小さな簡易スクリーンが。しまったぁ。もっと前に座るべきだった。あれでは殆どシネコンの小さいスクリーンと変わらん。緞帳に騙された。


始まると河瀬直美監督が登場し、女の子を紹介する。一昨日12歳になったばかりというその子は今からバレエでもするんだろうかという人形のような衣装を着ていたけど、実際はピアノの演奏だった。映画でテーマ曲を弾いたのがそのちっさい子だったらしい。一人舞台にのこったその子が演奏を始める。ぽーん…ぽーん…俺でも弾けそうな(一本指で)感じで始まったその曲は変な曲で、なかなか曲らしいメロディが始まらない。あそこまで無音が多いとかえって難しいんじゃないだろうか。で、初めて和音が登場した瞬間、ああこの子は上手いんだなぁということが実感された。なんというか僕はピアノの硬い感じ(デジタルじゃん?あれ)が嫌いなんだけども、やわらかい感じ。


で、演奏が終って監督が女の子にインタビュー。わざわざ森の中にピアノを運んでそこで弾いたこと、そして演奏している最中に泣いてしまったことなどを小学生らしく用意しましたって感じで話す女の子。変だったのは、森が怖くて泣いたんじゃないと言ったところ。なんだか森と一体化した感じで涙がでたらしい。わからんが、自分が拡散しそうだったのかもしれない。『ピアノの森

ピアノの森 1 (モーニングKC (1429))

ピアノの森 1 (モーニングKC (1429))




みたいな。


で、ピアノが片付けられて上映開始。


これは一体なんなんだろう。最初の方のグループホームのお年寄りやお坊さん(監督の話によると全てアドリブだったらしい)の部分は、これまでの監督作品と同じく殆どドキュメンタリー映画(だから聞き取りづらい)だし、画面が緑で埋め尽くされるあたりも『萌の朱雀』のときと同じだし、悪くなかった。特に風にうねる木々や、花をつける前の青々とした稲の海を風が走る様子なんてとても綺麗だった(あの風は自然風なんだろうか)。でもね。森に迷い込む経緯はいいとして、入った後がね、苦しい。


ずっと苦しいというのは良いとしても、もっと動きが欲しかった。僕が鈍いだけなんだろうか。正直に言うと途中物凄く眠くなって(昨日遅かった)ウトウトしたけど、眠っては居ない。でも分からない。いや、なにが起こっているのかはなんとなく分かる。


結局「動き」を感じ取ることができなかった。苦しい過去、記憶を持ち続けてきたおっちゃんと女の子が森に迷い込んで泣き叫んですっとしましたっていう単純な話でもいいんだけど、こう、苦しさが極まっていく過程とそれが開放される様子という動きがいまいちわからない。鉄砲水みたいなシーンは良かったけれど、リズムというかつながりがなぁ。勿体無かった。もう一回二回みれば分かるんだろうか。


これはヨーロッパでは受けてもアメリカでは受けない。そんな気がする。別にいいけどさ。最初の方のドキュメンタリーっぽいところで押しきったほうが面白かった気もする。ああいうのは他では見ないし(他にもあるんだろうけど)。


まぁ、あと何回か観てみる。パンフに名前(2000名ですと)載ってたし、ダメってだけじゃ勿体無いw


webで見つけた評

終った後、再び監督登場。今度は主演のしげきおじさんも一緒。差し歯が抜けたこととかカンヌで監督の息子(みつきくんな)をだしにトップレスの女の子を追い回してたこととか色々お話。スイカ畑を半日走り回って晩御飯が喰えなかったけど、スイカは美味かったとか。遠目にみると筑紫哲也っぽかった。あ、幼児がひとり広い会場を走り回ってたな。ったく餓鬼は。いいな。おれも走りたかった(違


ま、悪くない日曜日でした。ずっと雨だったけど、涼しかったし、いいや。帰りの電車が人身事故で30分遅れだったり、運休だったりしたけど。いいや。もう寝る!あ、坂牧春佳たん頑張れよー