今日は亭主氏
ハイルヘッタラーノシはやんなかったな。組み体操という下劣なものが好まれていたのは今でも思い出すだに吐き気がする。上半身裸だったなぁ。うほ。
とはいえ、これがなぜアニメなのか、という疑問が最初から最後まで頭から離れなかった。実写であるべき題材のような気がしてならないのである。
これと、これ
こちらのほうが面白かったが、実写のような素材ならばアニメではなく実写でやるべきなのではないだろうか(もしかしたら、そうした考えが媒体の機能を規定しているのかもしれないが)。
実写のような素材ということはアニメのような素材もあるんでしょう。
雑貨屋の店内における暴力場面では、実写では不可能なカメラワークが使われている(いや、もちろんセットを使えば話は別だが)。
ということで、実写で撮るにはお金が掛かりすぎる(特殊効果とか)という場合もアニメにする理由になるんでしょう。
だが、しかし。そんな理由とは無関係に、僕は邦画に限っていえば実写よりアニメの方がいいのです。これについては前にもチラッと書いた気がします。それはアニメーションやハリウッド映画なら見た瞬間に、ああこれは実生活とは別の世界なんだと無意識のうちに理解するので余計な緊張が解けるからです。逆に邦画の実写だと、見た目は普通なのに内容がアレなのでそのギャップが気になって、映画そのものを楽しめなくなるのです。まあ、殆どの役者がテレビでもよく見る顔だったりするので映画の内容に集中しづらいというのもありますが。
これに近いかもしれません。
冒頭で「1501年、西ヨーロッパ」という字幕が出る。もうこれだけでこっちは引っ繰り返った。これは 「マッドマックス」 冒頭の「今から数年後」と同じで、ここから先はワンダーランドですという宣言なのである。
字幕なくてもワンダーランドとして認識するんじゃないかと思います。それがいい。もっと言えば、小説も大抵は実世界とは違うものとして読んでいるのです。筒井康隆御大の作品なんてぜーんぶ、ワンダーランドのお話として読んでます。あと、邦画でも時代劇はとりあえずOKです。
逆に、小説でも映画(フィクション)でも上記の違和感を乗り越えて、実世界(というより自分の実生活)をよく映し出していると思ったら、それだけで傑作認定しそうになります。
いや、たいした話じゃないんですけど。『のだめカンタービレ』はドラマもアニメも両方いけましたね。じゃあ片方でいいじゃんということになりますけど。ドラマ版は竹中直人のミルヒがアウトでした。じゃぁ異人さんの役者だったら良かったのかというと違うんですけど。世界びっくりニュース(!!)の再現ドラマに出てくるような半分エキストラ半分モデルみたいな白人が出てきても萎えるだけですしね。死んじゃったけど、若くて細かったころの岡田真澄ならOKだったかも。