はい。また行って参りました。


本日は、第七番札所、東光山 龍蓋寺(岡寺) 高市郡明日香村(!)岡806というところ。


いやぁ、暑い暑い。朝早く出たときには寒かったので、マフラーに手袋、ダウンジャケット。それがもう、日差しが春だもん。マフラーは兎も角脱いだダウンジャケットが邪魔で邪魔でしょうがない。天気予報を見とけばよかった。


基。明日香村には大昔、石舞台古墳と亀石(新しいほう)を見に行って以来。で、驚いたのが、新築の一戸建てがずらーーっと並んでいたこと。いったいどうなっているんだろう。あれか?新しい路線でも開通したのか?それともリタイヤ始めた団塊どもがおったてたのか。ま、悪いことではないか。


地図で見るとたいした距離に見えなかったけど、暑い所為もあって結構ながく感じた。さらに山のふもとに到着してからが結構な傾斜で、見上げた瞬間ちょっと凹んだ。で、トボトボ歩いて上り、カーブを曲がったところで大層立派な仁王門がぱぁっと見える。が、仁王さんはお二人とも修理のためご不在。残念。仁王門をくぐると目の前は石垣。どう見てもお城です。で、その石垣に沿ってまたもや階段をちょこちょこっと上がるとようやく本堂が見える。これまた大層立派な姿。しかし。本堂の正面はガラス張りというかアクリル張りでなんだか味気ないというか興ざめ(うわっ!)。そのなかではちょうどお坊さんたちがなにやら聞きなれないお経を読んでいて、ところどころ○○××32才、○○××7才などと名前と年齢が混じっている(スピーカーで外にも流れている)。見るとここは厄除けのお寺らしい。7才はともかく、32才の女性の名前が何人も連呼され、どうやらその人がそのアクリル板のむこう、お坊さんの後ろに座っている人たちらしいというのが分かるとどうも気まずいので、お経が終わる前に立ち去ろうとそわそわしてしまった。


三重塔があったがどう見ても新築。このお寺は結構大きいし、お金も持っているみたいで、そりゃ建てられるなら建てたほうがいいんだろうけど(500年ほど前に壊れたままだったらしい)、どうもこういったものは古ぼけたものでないと急速に興味が失せる。ま、あの法隆寺だって新築時代はあったんだけども。


で、帰りに庫裏と旧書院を外側から覗く。ここの庭がすっごくよくて坊主に嫉妬。山の奥にあるお寺って、ここのような大きなところでなく、どんなに小さいお寺でもハッとするようないい庭を持っていることが結構ある。あの書院と庭だけ欲しい。


で、既に結構な時間が経っていたので蛙ことにしたけど、大和郡山で下車。これまた久しぶりにとんまさへいって若鶏カツ定食(並)を喰う。(並)といっても量は普通の倍はある。これを何と15分で喰いきる。前食べたときは、競争だったので意識して早食いして20分だったのに。カツの量が減ったんだろうか。ま、旨いからいいや。


で、折角郡山で降りたのだからどっか行こうととりあえずお城へ。郡山城はところどころグチャグチャになっているけど、石垣がいい。で、驚くのが外堀と内堀の間に普通の民家があるところ。すげぇ。こういうところ住んでみたい(蚊がすごいかも)。で、同じくお城の敷地内だろうところに郡山高校がある。校舎自体はかなり新しいんだけど、どうも通学路もお城の巨大な石垣の間を通るらしいし、緑が多く雰囲気がとてもいい。で、そういうところを弓道部の連中が袴姿で弓を持って歩いていた。これがなんとも画になる。ここ羨ましい。学校は嫌いだが、あの瞬間はイイ!と思った。頭の悪い教師さえ居なければ(はい、矛盾してますねここ)、あの学校は最高ではなかろうか。


で、高校の真向かいにある柳澤神社(本丸跡)を通り抜けて柳澤文庫という図書館へ行く。玄関さきにこれまた大層立派な梅鉢が2つ。なんか特別展みたいなのをやっていたので入る。¥200なり。





神社の梅ね。


展示内容はお城に残っていた記録らしく、はっきり言って読めん。だけど相当綺麗な紙に相当綺麗な文字だってことくらいは分かった!あとは地図ね。これ(説明文も含む)を見ると侍ってのはサラリーマンだったんだなというのがよく判る。御一新の後は結構散り散りになったという。武士の副業としての金魚養殖が大成功してたにも係わらずです。泣ける。


ここは本を読むだけなら只らしい。展示も中学生以下は無料だった(はず)。ともかく、木造の建物が好き。近所に住んでいたなら毎日でもここへ来たに違いない。なんか、雰囲気がとてもいい。既視感があったけど、原因の一つは分かっている。『海辺のカフカ』の図書館のイメージ(他にもデジャブの元となったイメージがありそうだけど短い時間しか居なかったので分からない)。


で、ほわっとしたなんだか幸せな雰囲気で帰途につき、あまりにほわっとしすぎた所為か眠ってしまって乗り過ごす。てへっ!