なんかずーっと引っかかっていたことがあったんだけど今日わかった。それはこの前の大蟻食さんの日記に嫌煙という言葉があったので、ここでも使おうとしたら変換候補の3番目だったということ。犬猿→倦厭→嫌煙だった。


で、なにが引っかかったのかというとこの嫌煙という言葉って結構新しい言葉なんじゃなかろうかということ。そりゃ3番目だろうと。これって煙草の煙専用の言葉でしょう?しかも昔はどこで吸っても当然、煙が嫌なやつは黙ってろ(女子供だろうか)という感じだったし、もっと昔は高級品だったんだし、嫌煙なんて言葉なかっただろうなぁと。


いや、次に思ったのは愛煙。これはいつの言葉なんだろうか。煙草の煙が嫌いだということが嫌煙という言葉によっておおっぴらに主張されるようになったあとに出来た言葉なんだろうか。あーっとつまり左翼に対して出てきた右翼みたいな言葉なんだろうか。その辺も気になるなぁ。もう何年も前のことだったと思うけど“イマイチ”という言葉が辞書に加わるということがニュースになっていた。辞書というのは言葉の意味だけでなくて、それらの言葉が新しく辞書に加えられた時期というものが判ればいいのになとも思った。つまり辞書の版が更新されたときの差分が判れば、それぞれの言葉が市民権を得ただろう時期がわかるということで。デジタル情報なら簡単だと思うんだけどな。


で、嫌煙→愛煙ときた連想は次に愛犬家と繋がりました。とすると最近流行の猫についても愛猫があるなと。正直に申し上げますと、僕にとってはこの“愛煙”も“愛犬”も“愛猫”もなんかこうしっくりこない語感をもった言葉です。ま、嫌煙も。何故かは不明。そのうちね、考える。一番の得意技である保留を適用します。留保?


で、愛犬から連想したのがこちらも最近流行りの愛国(心)。これは結構古い言葉じゃないかと思うんですが、判りません。そもという言葉自体がそんなに大昔から使われていた気がしないもので。で、その反対はなにかというと愛煙⇔嫌煙の例から察するに嫌国となるはずですが、聞いたことがないですし変換候補にもありませんでした(そういや嫌犬や嫌もないなぁ)。じゃなんだろうと、ネット界隈(ここが問題かw)を見渡すに反日が使われている様子。へーっと。これはなんだかおかしい。


なにがおかしいかというとやはり愛国⇔反日ではないというところでしょうか。愛煙⇔嫌煙はOKでしょう。


この反日という言葉、日本について全般的な物事や日本政府にたいして文句をつけている連中に対して使われているもよう。もちろんアイロニーでなく素の状態で自分のことを反日(者?)だと名乗る人はいません。一方(僕は傍から見るに恥ずかしいと思っていますが)自身のことを愛国者だという人はそこそこいるようです。また他人に向かってあの人は愛国者だという人は少ないようです(僕は見たことがありません)。


つまり。反日愛国(自称)愛国者が使っている言葉だということです。はぁ?


もうちょっと細かく言うと、(同胞である日本人に対して反日と連呼する)愛国者は自分が、あるいは自分の愛国方針が絶対であってそれ以外は反日だと。愛煙/嫌煙だとちゃんと対称の関係になっていて相対的に使うことができる。


自分の意に沿わない主張をする人間を反日と呼んで“そんなに自国がイヤなら出て行け”というテンプレ。


僕は日本はいい国土、文化、風景をもった大変いい場所だと思ってますし、どこぞヨーロッパの小国を除けばずいぶんと上手く行ってる国だと思います。僕がアメリカをちょこっ知って驚いたのが、あの国へ移民したいと思っている人たちが世界中に大勢、ほんと大勢いるということでした。いや、そんなにいいとこじゃないじゃんと。食い物だって酷いぜと。それでもあのアメリカのほうが何倍も何十倍もよいと思う状況にある国が、人々が大勢いるということがショックでした。


それでもね、僕には我が祖国日本に関して気に入らないところはいっぱいある。国だったり地方自治体だったり世間だったり(今回の場合個人は別の話ね)。それを口にすると“出て行け”っておまーw。なんとなく反日という言葉が非国民という言葉の代用、あるいは生まれ変わりのような扱いになって来ている、さらにあるいは、そういう世間/空気を醸成(←使ってみたかった)している気がしますね。あーやだやだファシストは。さっさと死ねばいいのに。僕はどっちかというと愛国者反日連呼している)にこそこの国を出てって欲しいなぁ(“いろんな愛国”を相対化できる人はべつですよ)。そんでもって出るときは日本人からどこぞの国へ帰化して欲しい。日本人だなんてばれると恥ずかしいし。


えーっと嫌煙の話だったのにファシストなんてきやい!になってしまいましたね。連想というか妄想でした、はい。