どうもこうもニャー!(nonecoじゃねーよ)

ぬちゃぬちゃのぐちゃぐちゃのどろどろの何だかよく分からないクトゥルー的な女の業は、古来より女流文学者の得意技であった。と言うか、それをやっている限りは女流文学者は文壇でかいぐりかいぐりして貰えたものだ。



いやぁこのかいぐりかいぐりって大蟻食さんの造語かと思ったんですけどちょっとググッたら違うことが判りました。初めて聞いたなぁ。なんか、猫がじゃれるみたいに両手をクルクルまわすといった感じの(違う?)言葉らしいです。へぇ。ほんと、初めて聞いた。


なんか、こう本題を外すのが癖なのでしょうがないんですけど、長いし、24日の日記も猫がらみなのでちょっくら書いとこうかと。

ただしこれだけは言える――ナチュラルな状態でのフリーセックスと出産の喜びを享受する為に仔猫の虐殺に同意する母猫はまずいない。仔猫殺しが常態となっていたら、母猫にとってはセックスも出産も全くの無駄手間だ。



生まれた子供を殺され続けたら、母猫は狂うんだろうか。目の前で殺されれば狂うかもしれない。産んでも産んでも直ぐに目の前から消えて行くだけならどうなんだろう。多分、影響がないわけではないだろうけど、やっぱり次の年だって産むんだろう。猫にとっちゃ同意も糞も無いと思うんだけど。直前に書かれているのと同じ、ケモノの主張など人間にはわからんのだ。


で、思うんだけど大蟻食さんが仰る、鯨がバカーっと大口あけて、鰯の群れをぱあああああっくんっ!!とするときのイタイケナ鰯と、殺された仔猫となにが違うんだろうかね。他の生き物の食料になってないってことだろうか。じゃぁ『乗越し駅の刑罰』のように仔猫鍋でも作ればOKなんだろうかね。


まあ、坂東はんの文章はちゃんと読んでないしどうでもいいんだけど。ネットでちらほら見ると、仔猫殺しはとんでもない、仔猫殺し自体は酷いんだ、ウゲーだ!だがしかしその反応(叩き)はないだろう云々という中途半端な擁護(じゃないけど)がいくつかあった。仔猫殺しを忌むのはまっとう(危ないなぁこの言葉、近藤社長、気をつけようね)だけど、叩きは異常だろうと。


一番びっくりしたのがそこ。仔猫殺しと聞いてもなにも感じなかった自分。うちは田舎だったので猫や犬が生まれたら山だの川だのに捨てる連中が近所にはいっぱいいた(ゴミだって川に捨てるのが当たり前みたいな馬鹿も結構いた)。小さな頃、それを初めて聞いたときはもう頭に血が上ってそんな糞野郎共はみんな死ね!死ね!死ね!と喚いて、殺された子犬や仔猫を思って泣いてた。それがあーた。今回まーったくなんも感じなかった。へぇーで終わってた。大騒ぎになっているのにびっくりした。はぁ?とか思ってた。


なんだかなぁ。どっか頭の中で死んでしまったところがあるんだろうかね。そのうち人間が死んだって何も感じなくなるんだろうか。そういえば、延岡で殺された少年について、通っていた学校の校長が“ご両親のことを思うとううっうえっ”って泣いてたな。いや、それ、本人のことを思ってやれよ、働きながら夜間高校に通って、資格取るんだって頑張ってたんだろ?なんで両親なんだよ、そりゃ死んだ人間を思ったところでしょうがないのは理屈としては判るけどな。とか突っ込むことに頭を使って、自分自身は何も感じてなかったな。


おおっと。いつものように話が流れて発散していくな。ま、いいか。たかがブログだしな。そう、坂東さんの名前を間違っていたのに修正されてた。作品だっていくつか読んでおられる様子なのになんでだろうかと思ったけどまぁいい。24日の強制避妊が強請避妊になってますよ。それじゃぁゆすり避妊だよ先生。日ごろからどんな変換しておられるんだかまったく。


あと、TBされたあんとにあん先生のとこも凄い。“「子宮で考える女性」”ってちょーwwおまーww!それを大蟻食さんへTB打つですか。いや、大蟻食さんでなくともフェミな人からぬっ殺されるんじゃないですか。怖いことされますねぇ。勇気がおありですね。こわやこわや。


ということで何を言おうとしてるかというと、わしはちょっと上手い言い方あるいは一見ならぬ一聞なるほどと思うような言葉はきやいだということです。それを聞いたり読んだりすると、中身を考えずに流してしまいそうになるからです。子宮で考えるわけねーじゃんよ!と。


ねむいのでねます。おやすみなさい仔猫さんたち。おやすみなさい子犬くんたち。おやすみなさい鰯ども。おやすみ。