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いや、『ミノタウロス』のおかげですっかり忘れていた。
正直申し上げて、宗教を笑いものにしていいのは当の宗教の信者だけという原則は作れんものかね(内部批判は常にあるべきだと思うし、それが弾圧された時には、それこそ世俗国家の出番であろう)。
そりゃ原則を作るというか、そもそも、宗教に限らないけど躾、常識としてあったんじゃないのかな。この手のものは消えることはあっても、まあ、戻ってくることはないでしょう。程度にもよるけど、そんな理想的な世界なんて土台無理な話だしね。内部批判の弾圧に世俗国家登場て、都合よすぎ。つか、日ごろこれくらい弄られてないと、マジでなんかあったときだれも気がつかないよな。大蟻食さんだってハンチントンはトンチンカンだとかおっしゃってましたが、あんときと一緒で、こういうもん(弄り弄られ)じゃぁないですか?
まあ、例のカリカチュアのときとは違って、今回は自ら信仰されているキリスト教なので、かえってどこか控えめですね。ちょっと鬱陶しいなあってなくらいでしょう。あまり怒りは感じません。
多分、私のレオになんてこと! のほうが頭にきておられるのでしょう。
で、カトリック(教会か)自身は与太を与太として華麗にスルーとはいかないものなんでしょうか? … 日付、日付!