久しぶりだ。前回調べたので今回の“びまん"は読めた。
"ナショナリズムと集団性"

[10?]@内田樹
ごしゅうせい【互酬性】

(〔reciprocity〕個人ないし集団間で、互いに物品や役務などを交換すること。贈与慣行の義務的性格に着目してつくられた分析概念。日本では「お返し」や「結(ゆい)」などがそれに当たる。
goo辞書

ほぉ。日本人だけど「結」を知らんな。


ま、[言葉]はともかく今回の先生のエントリーは釣りに見えた。ので釣られてみる。というほでもないけど。

たっちゃんの見ている弱者(ナショナリズムに乗った人)と僕の見ている弱者(ナショナリズムに乗った人)が違うだけといえばそれまでなんですけど

彼らがナショナリズムに飛びつくのは、「国民的統合が果たされると、自分にも受益機会がめぐってくるのではないか」と考えているからである。



これはたぶんない。そんなこと考えてないと思う。というのは今回の書き出しにある

若い世代に瀰漫するナショナリズム格差社会の関係



という部分からすると世間に広がりつつあるうすーいナショナリズム竹島とかね)のことだと思うから。


あれは単に叩きやすいから叩く、叩くとスッキリする、しかも直接的な反論・反撃は無い。というだけのことで、やっているうちに得しそうなどとは思ってないように見える。という風僕は見ているので

これがわからないから若者たちは「日本国」というような幻想に簡単に飛びついてしまう。



というよりは先生のほうが結論に飛びつかれたんじゃないのかと思いました。というか本論辺り、ナショナリズムの説明などはその通りだと思うので、どちらかというと若者云々という前置きというか導入部分を無理やり引っ張ってきた感じです。無理を感じる。牽強付会あるいは我田引水気味だなぁと思ったのです(四文字熟語の練習)。