なんだかいいことを仰るなぁこの先生。いいことというか、捏造についてはつい最近考え始めたと書かれているのによくわかっておられるところが凄い。切れる研究者というのは研究以外のことについても凄いみたい。

捏造をする人間は、「確信」してやってるのでしょう。捏造する人間を見つけて、本人の更生を迫り、本人も反省しなければ、一生そのような捏造行為を続けるだろうということです。

つまり、データ捏造というかたちでしか、科学に参加できない心的傾向を持った人間がいるということを、知らなければいけないのです

強調は引用者。


多分この先生の近くにはこういう輩が存在しなかったんでしょう。が、実物もこの表現がぴったり。心的傾向という語が何を指すのかがイマイチ判りませんけど、多分それは連中が論理性を持っていないのでそういう言い方しか出来ないんじゃないかと想像してます。明らかに論理破綻しているのに言い逃れをしようとしている様子はちょっとしたホラーのようにこちら側(敢えてわけます)の人間に恐怖心を抱かせます。まぁそういう点で言えば彼らは狂人に似ているかもしれません。


そもそも科学的なことが好きで科学に参加している人間ならば、データの捏造はもとより改竄だって生理的に気持ち悪くてできないはずだと、僕もずーっと思ってました(マヌケにも)。先生もどこかで書いておられた気もしますが、グラフを作るのに測定したデータのすべてを見せずにトリミングすることがよくあります。そのトリミングにしても気を使います。特に、そもそも要らない領域(もっとよく考えて実験すればいいのですが)のデータに異常値が1点あったりすると、その原因が判らないまま切り取るのは気持ち悪くなんだか嘘をついている(吐いてないけど)ような気になります。


しかし世の中には、データを単なるお絵かき程度にしか認識していない人間がいて、科学的もなにもそもそも論理的思考と縁がない人間もいて、しかも驚くべきことに何故だかちゃんと理系の学部を卒業できたりするということを知ったのはつい最近のこと。なんか日本はもうだめでしょと思いました。いまどきの若いものは云々というのはエジプトだかメソポタミアだかの昔から言われていることで、大丈夫だよなんて話も聞きますが、今僕が見ているものはそれとは違うだろうと思います。言葉が通じないもん。全く。


あ、あと前日のこの文章もいいなあ。

人間活動、どんなものでも卑しくも高貴にもおこなうことが出来るのだと思います。

それを決めるのはどんなときも本人でしかありえないのがミソ。ま、多分当たり前のことなんだけども偉い先生が仰ると違うなあ説得力。餓鬼が言っても誰も聞きやしないこんなこと。


大学というところは教育よりも研究だというお話にはそのまま同意することはありませんけど。上手に教えてくださる先生というのはやっぱり有難いもんだと思ってるので(少ないけど)。まあ、上手でなくとも御本人の研究に対する熱のようなものを感じることが出来ればそれはそれで貴重な機会だと思いますが、そういう人はもっと少ないのです。


まあ教育といってもほんとは、学生が何かを質問したときに何らかの回答をいただければそれで十分だと思うけど。